病院から突然の「退院して通院での抗がん剤治療お願いします」宣言から1週間後
毒母が退院することになった
地域包括センターに「私 虐待されてました」告白をしてから
どーんと鬱になったけど 落ち込んでいる場合ではなかった
地域包括センターの担当員さんから紹介してもらった高齢者住宅専門の業者に連絡をすると 早速サ高住をいくつかピックアップしてくれて
地域包括センターの担当員さんから後追いで「業者だと紹介料がかかるから」と
サ高住の紹介されているサイトのアドレスも教えてもらった
毒母を病院に迎えに行ったその足で 自分で見つけておいたサ高住を見学させ
午後には業者さんが探してくれていたサ高住も見学
結局 私が探していたサ高住に毒母は入居することになった
家の近くというのもストレスかなと考えたけど 車で一時間とかだとこれから毎週になる抗がん剤治療に連れていくのが私にとってストレスになる
一年間の抗がん剤治療中、なんだかんだと呼び出されるだろうし、迷いに迷ったけど近くを見学させた
退院の翌日にサ高住に契約したい旨を告げたら契約書を作るのに二日間かかるというので 最速で契約
その間に平行して 介護用ベッド、冷蔵庫や洗濯機といった家電のレンタルを手配した
退院後 翌日には早速 私の作った食事にダメ出しを始めた毒母
抗がん剤の影響で便秘をしているというが 私もアンタの諸々の準備でトイレに行く暇がなくてアンタ以上に長期の便秘してるよと思いつつ
とりあえず 病院に電話して主治医にきいたら「今出している薬の量を増やして飲ませて様子をみて」というのでそうした
3才くらいの時、私が便秘をしたという理由で殴る蹴るの暴行を始めた毒母は私を蹴り倒しながらそのまま私は家の二階の階段から一階まで蹴り落とされた
「服を勝手に着替えた」という理由で同じように暴行されて二階の階段から蹴り落とされたこともある
近くにいたいとこは ぼ~っとしたやつだったが「○○くんは 本当に子供らしいのにアンタは大人の顔色ばかりみている」と母になじられ続けた幼児期
そりゃ 今考えても「しつけ」の理由にならんことでいきなり暴行が始まる環境にいれば大人の顔色見るって 生命かかってたもんこっちは
他に大人(どころか兄弟もいない)環境では 自制をする必要がない
幼児虐待は誰も止める人のいないところで無抵抗の幼児に対してなされる卑劣な行為だ
抗がん剤の影響で便秘したと騒ぐ毒母に キレたらこっちの精神が崩壊するので
淡々と医者に意見を求めて対応した
「サ高住に入れて行政に渡した後は 本当に無理なら全力で逃げてやる」と逃げ場を作っていることが双方にとってのセーフテイーガードになった
虐待の事実をカミングアウトしたことは 自分の人格形成期を否定するようで強烈な鬱気分を誘発したし、毒母の機嫌を損ねると食事も食べさせてもらえないという恐ろしい刷り込みが、「毒母を他人に売った」ことから起こるだろう「なにか恐ろしい出来事」を予想させて不安感を駆り立てられた
でも この「第三者が事実を知っている」ことは 私自身が人としてやってはいけないことをやらない ことへの歯止めにもなっている
退院から5日後、毒母 サ高住へ入居
自分の生活の場に24時間毒母がいる5日間の生活の中で「やっぱり無理このヒトとずっといるの」とつくづく感じつつ
幼児虐待は懲役刑がつく立派な犯罪だ
時効はとっくに成立しているものの 時が叶えば「犯罪者」が母親ということが
自分自身を否定されているような気持ちにもなり
その犯罪の被害者が自分自身であるということへの毒母への許せない思いと
「ここまで周りにも毒母にも 気取られることなく生きてきた自分自身の人生」を第三者に「毒母が時効が成立していなければ犯罪者」であると告げたことで「否定」してしまったような罪悪感にも似た「自己否定感」
とりあえず 機嫌よくサ高住生活を始めた毒母と距離を取りながら最後まで「演じ続ける」ことでこれまでの私自身の人生を称賛するしかないような気がしている