昨年の3月食道に腫瘍が発見されて2週間は検査の連続でした
ほとんどが初めての検査で涙目になるほどのキツイ検査もありました
その間、私は弱音を吐くことはありませんでした
胃癌や大腸癌、肺癌などのメジャーな''がん"ではなく食道という食べ物の通り道的なマイナーな臓器にできた''がん"というくらいの認識でした
当時は、''がん"は切り取ってしまえば無かったことになる
父方にも母方にも''がん"で死んだ人間がほぼいなかったから、それ以前に''がん"になった人間は79歳で肺癌になり80歳で亡くなった叔父が一人だけでしたからね
80歳まで生きていればその直接の原因がなんであれ老衰(寿命)でいいんじゃないかと思っていました
58歳の私が''がん"になっても死ぬことはないだろうとたかを括っていました
なにせ健康長寿一族ですから (笑)
ここからは親父の回顧録になります
私の親父は2012年1月、80歳の時に風邪の症状で急患センターに連れて行くと肺炎との診断で即入院
10日もすれば退院できると本人も家族も思っていたのですが22日後の2012年2月2日に帰らぬ人になりました
臨終の1週間ほど前に入院先の病院からの呼び出しの電話がありました
看護師「先生がお話しがありますので来てください」
具体的な余命宣告ではなく主治医曰く
医師「会わせておきたい人がいるなら早急に連絡をしてください」
まだ意識もあります
なのに?
だから今、会わせてやった方がいい
意識がなくなって臨終に呼んでもという考え方です
そのことを親父に伝えるか否か悩みました
結果、私の独断で伝えないことにしました
親父は男4人、女7人の11人兄妹の上から3番目
当時亡くなっていたのは直ぐ下の妹が一人で親父以外の9人とその配偶者は健在でした
親父の兄妹にはどうするか悩みに悩んだ結果、男兄弟だけに連絡をして病状を説明をすることにしました
そしてその日から私は病室のソファ🛋に泊まることにしました
長男、四男は大阪、三男は福岡市在住です
三男は2時間後に、長男、四男は夜通し従兄が運転する車で翌朝には病院に駆けつけていただきました
親父には余命宣告を伝えていません
いきなり兄弟が見舞いに来たことに親父はびっくり???
意識はあるのですが肺炎ですから鼻からと口からの酸素吸入をしていて声が出ません
何か察したのか親父の目からは涙が・・・
それを見て兄弟も・・・
その後は長男の判断で姉妹に連絡され翌日からは姉妹の見舞いが続きました
日に日に弱っていき5日後の深夜息を引き取りました
その5日間で私は葬儀社の知人を訪ねて親父の病状を伝え、斎場の下見をして祭壇、生花、お斎(おとき)、精進揚げ、通夜の料理、当日返しの返礼品などを決めていました
あとは数を連絡するだけにして・・・
臨終を迎えても私は冷静でした
そして滞りなく通夜、葬儀は終わり親戚からは立派な葬儀やったと労いの言葉をいただきました
当時はなんの疑問もなく息子として責任を果たしたつもりでした
しかし今、考える事があります
自分が"がん宣告"をされてから
あの時、親父に余命宣告を伝えなかったことが正しかったのか⁉️
親父なりに短いながらも余命の使い方があったんじゃないだろうか
この世に未練を残して逝ってしまったんじゃないだろうか
今更ながらそう思う今日この頃です
"食道がん"を舐めきっていた私は時の経過とともに事の重大性に気づかされる事になるのでした
"食道がん''は切っても無かったことにはなりませんでした