日本とシナ 渡部昇一
- 渡部 昇一
- 日本とシナ―1500年の真実
「反日」と「覇権主義」を振りかざす隣国とどう向きあうべきなのか。過去を一方的に反省する必要はない! 日本人が知っておくべき日中関係史の真髄を若い世代に語る。
閻錫山(えん しゃくざん)、1936年(民国25年、昭和11年)の綏遠事件では、晋綏軍が日本の支援を受けた内蒙軍を撃退した。抗日意識が高まるなか、西の陝西省から侵攻してきた中共と妥協し(犠牲救国同盟会の成立)、反共から「連共抗日」路線への転換を余儀なくされた。
翌1937年(民国26年、昭和12年)、日華事変による日本軍の侵攻で大打撃を受けた。戦争中は第二戦区司令官に就任するが、日本軍、国府中央軍、中共軍の進出で支配の基盤が動揺した。1939年(民国28年、昭和14年)には、勢力を増大させた中共との間で衝突(晋西事件)も起きた。1941年(民国30年、昭和16年)9月には日本の「対伯工作」を利用して現地日本軍と停戦協定を締結し、兵力を温存した。
戦後は国共内戦のなか残留日本人義勇軍(暫編独立第十総隊)を使って中共軍と戦った。しかし、1949年(昭和24年)3月、中共軍によって太原が包囲されると閻錫山は飛行機で太原を脱出、南京、広州を経て台湾に逃れた。
城野宏が出てこないぞ、寂しい
マッカーサーも「日本の戦争は、自衛のため」と語ったのだ