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いよいよ親玉「サンハウス」の番が来ました。


同じ名前の不動産屋とかリフォーム工事業者を知ってますが、バンドの方は「SON HOUSE」と書くので、太陽のSUNでも、サンスクリットのSANでもなく、息子のSONと書きます。ブルースマン「Eddie SonHouse」が由来です。

バンド自体は70年頃から活動していますが、デビューは75年、その3年後の78年に解散しています。


あいにく私が小学生の頃に解散してしまいましたので、物心ついた頃には既に伝説化してました。

そもそもサンハウスを知ったきっかけですが、小学6年だったか友達がYMOを勧めてきました。第1印象はなんともわけの判らんお祭りのような音楽と思ってましたが、中学に上がり、地元福岡でそのYMOがツアーで来ると言う話で、いっちょ行ってみるかと出向いたところ、そのステージに元サンハウスの鮎川誠氏がサポートギタリストで参加されてました。



「なんか一人だけ外人さん(僕には鮎川さんがそう見えた)がおるやん」


と、YMOマニアの友達に尋ねると


「なんば言いよると。あの人は鮎川誠っちゅうて、サンハウスってバンドばしよんしゃった日本人たい(※1)。しかも久留米(福岡)の人で九州大学(※2)ば出とんしゃーとよ。」


「かっこよくて、頭がよかったら、そりゃすごかたい!」 惚れました。。。


※1・・・ 正確には、お父さんがアメリカ人なのでハーフです

※2・・・ 九州で1番難関の国立大学。ちなみに福岡大学は私立大学なのでR



そんなエピソードがきっかけで、サンハウスに興味を持ったのが始まりです。


その頃は既に「シーナ&ザ・ロケッツ」(詳しくは明日「し」でやります)で活動していましたので、正確にはシナロケの方を先に聴いていました。



sonhouse03 それにしてもあまりにも残した影響が大きすぎるバンドです。

特に歌詞が過激で、俗に言うダブルミーニング(2重の意味がある)が特徴です。ほとんどの曲が男性器と女性器のことを比喩的に歌ってるため、当時は放送禁止にもなっていたようです。

ちなみに大抵の曲は、歌詞:柴山さん、曲:鮎川さんの2人の作品ですが、中でも「レモンティー」は福岡でバンドを志す者にはスタンダードになっています。しかもブルース+ロックの融合的ジャンルだったこともあり、インパクトも強かったのは言うまでもありません。

そんなオリジナリティーが、後に「博多=日本のリバプール」と呼ばれるようになる礎を築いたと言って否定する人はいないでしょう。


現在、トリビュート的に憧れのバンドをオマージュする傾向が強くなっていますが、解散直後から、追い付け追い越せと、後に日本を代表するバンドが生まれていった経緯を見れば、明らかに底知れぬ影響力です。


例えば、ラフィンノーズやブルーハーツがパンクをメジャーにし、BOφWYがビート系バンドに火を付け、X-JAPANがハードロックをお茶の間(総理大臣まで)に広げたこともすごいことですが、それ以上にサンハウスが与えた影響は計り知れないと思っています。



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