皆様お疲れ様です。
私、もう一度書いてみたい記事があるんです。
それは、あの日の事
長男が亡くなった日の事。
なんで書きたくなったのかといいますと
今の気持ちを乗せて書き残したいという
感情が最近芽生えてきたんですよね。
当時書いた記事は
多分その日起きた事を時系列で
書き記したものだと思うのです。
「多分」って書いたんですけど
実は私、過去記事でも
読めるものと読めないものがあるんです。
最近過去記事を読み返していることも
あるんですけど
どうしてもあの日から
長男が旅立った時までの記事は読めません。
最近はだいぶ落ち着いてきて
ブログの記事もトドがどうだとか(笑)
変な事書いたりしていますけど
やっぱり根っこの部分は、きっと
あの日から何も変わってないんですよね。
それが良く分かりました。
でも、改めて今になって
もっと長男の死と向き合ってみたいような
そんな気持ちもあるんです。
これよりももっと前に進むには
もっと心の深い部分で
見つめ直す必要があると思っています。
ひょっとしたらそんな辛い事
しなくても良いじゃないか
そう思う方もいらっしゃると思います。
もちろんそのお気持ちも良く分かりますし
自分でもなんでこんな事思っているのか
不思議に思う時もあります。
私はバカなのではないだろうか
そんな事も思います。
私は長男の死と向き合って
長男の死を受け入れたい訳ではありません。
長男の生を、
生きた証をもっともっと受け入れたい。
その為には
長男の「死」という原点に
立ち向かう必要があるのではないか
不器用な私は
そんな事を考えています。
それで、もう一度書くためには
あの過去記事を読む必要があると
思っているんです。
あの日の事は絶対忘れられない
人生最悪の日
自分の人生を呪うほど狂いました。
でも、長男が亡くなって
もうすぐ8ヶ月
心のセーフティ機能が働いて
緩やかにあの日の記憶を
マイルドにしているような
そんな気がしています。
だから本当はあの記事をもう一度読み
あの日に心を戻す必要があると思っています。
でも、できない…
読めないんです。
なのでこの私の願望は
いつ達成出来るかは分かりません。
しないかもしれないし
急にスイッチが入って
意外と早く出来るかもしれない。
それは分かりません。
でも、本当は
1秒でも記憶の鮮度が新しいうちに
書いた方がいい事だけは分かっています。
なんでこんな事
思ったんでしょうか
これも私のグリーフケアなんでしょうか
ただなんとなくぼんやり思うのは
当時の私は
長男の「死」を受け入れる事など出来ず
ずっと否定し続けていたから
自ずと「生」も否定していた
でもそれを今の気持ちで受け止めてあげたら
「生」をもっと肯定してあげられるのかな
そんな事を思っています。
書けるのかなぁ?
どうなんでしょう?
私の心の旅も
まだまだ続くっていう事だなと
改めて思いました
それが
今の私の願望です。
日の出1時間後
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
はじめましての方へ
よろしかったら
こちらもお読みいただけますと幸いです。
こんな事書いておいて
自分が読めないんですから(笑)
どうぞよろしくお願いいたします。