皆様お疲れ様です


先日の記事で自分なりの考察を

「グリーフ最強理論」として

書き分けていきたいと書かせていただきました。



今回はその第一回目となります。



といいますか

私、今回の記事が書きたくて

「考察」テーマを作ったようなもので

これ書いちゃったら

次続けられるのかな?って

若干心配しています(笑)


テーマを分けた以上は

少しづつでも掘り下げて

ちょっとでも形にしていかれれば


そう思っています。



それでは第一回目のテーマなんですけど



それは

「故人の概念化」です。


突然、専門用語みたいなのが飛び出しましたが

これは私が勝手に言ってるだけです(笑)



どういう事かというのを

私の例でご説明いたします





皆様もそうだと思いますが

私は日々長男の事を考えたり思い出したり

しておりますが



長男の事を思った時に悲しくなる時と

悲しくならない時の

パターンがなんとなくあると気が付いたんです。



あくまでも私の場合なので

全ての方に当てはまるかは分かりません。



でも、一理はあるんじゃないかと思います。



そのパターンなんですけど



長男(故人)を思ったり思い出したり

した時に、悲しくならない時は

たいていの場合




「故人の事が概念化出来ている」という事です。




この「概念化」なんですけど




例えば故人に向かって話しかけたり

思い出したりした時に

故人が近くに存在するといいますか

場所はどこでもいいんですけど



おそらく思い出す時や、思い出す人によって

違うと思いますが

仏壇や空や自分の隣など



そこに故人が居ると思ったり、思える時は

比較的悲しい気持ちにならないんですよね



そういう事ってありませんか?




私の場合

長男に向かって話しかけたり

思い出したりした時で

気持ちが安定している時って

だいたい長男が近くにいるつもりで

話しかけている時が多いんです。




逆に悲しくて仕方ない時は

長男の姿を見失ってるんです。



これは長男の事をきちんと

概念として捉えているか、いないか

それによって心の安定が

違うのではないか、そう考えました。



概念として長男を捉えてる時は

長男との繋がりを感じる事が出来ており

姿は見えませんが

近くにいるような感覚があり

悲しい気持ちにはなりません。



ですが、例えば長男に会いたくて

仕方なくて悲しい時は

長男の喪失感が強く出てしまい

そこに長男が居るということを

イメージ出来ていません。



つまり概念として

その時は存在しなくなっているのです。



この「概念化」出来ているか

出来ていないかが

悲しみの一つの分岐点であると

私は考えました。



ですが私はまだここからの復帰の仕方が

分かってはいません。



悲しみが押し寄せて来た時

今はヤバいと思ったら

できるだけ長男が傍にいるという事を

イメージするようにしています。



これで回復したり通常の状態に

復帰出来ているかはまだ

判断が難しいですが

ただ、悲しみの原因を知り

それに対処しようとしている方が

立ち直りは早いような気がしてます。



あとこれは恐らく

主に思慕に対しての話であり

後悔などはまた別の対応が必要に

なってくると思います。



とまあ、私の経験上

判明しているのは以上なんですけど

いかがでしたでしょうか?



今回気付けたのはあくまでも

私の思慕の感情に対するパターンでした

他のパターンはまた色々と

思考しながら過ごしていこうと思います。



また、私にはグリーフなどに

なんの知識もありませんので

もしも知識をお持ちの方で

補完出来る事などあったら

教えていただけると凄く助かります。



次回以降はこの思慕と概念化を深掘りするか

それとも別の話になるかは

全く分かりません(笑)



次はいつになるかも分かりませんが

もし次回もありましたら

お付き合いお願いいたします。



また色々考えたり

調べたりしてきますね!


ありがとうございました。




最後までお読みくださり

ありがとうございます










はじめましての方へ

よろしかったら

こちらもお読みいただけますと幸いです


私の新しい人生の出発点です

どうぞよろしくお願いいたします。