皆様お疲れ様です
今日はかなりメンタルやられております
昨日うっかり息子の携帯にある
検索履歴を見てしまったんです。
「胸痛」
心が張り裂けそうになった。
なんだよ!痛かったのかよ!
どれだけ痛かったのだろうか
どれだけ辛かったのだろうか
助ける方法は無かったのだろうか
考え過ぎて
気が狂いそうになった。
亡くなる前の夜に気付いてあげられたら
息子を救えたのだろうか
昨日からその事ばかり考えていた。
亡くなる日の話が出たり
その日の事を思い出すと
胸がギュッと苦しくなる。
今回も同じ
あの日に感覚だけトリップする
何も変えられない自分と過去の事実を
上から客観的に見ている感覚
どうすれば助けることが出来たのか
無意味な解決の糸口を探る。
でももしも
前日に胸が痛いって言われても
目の前で苦しんでいなかったら
「今夜様子みてダメなら明日病院行こう」って
言ってたかもしれない。
現にあの日だって熱は少しあったけど
めちゃめちゃ元気そうだった。
冷静に考えればその状況で
病を見つける事は困難だっただろう
でも親としてなんとか助けてあげたかった
そんな後悔の渦に呑み込まれて
何も手につかない。
今朝、そんな話を
病気で親を亡くされた方に話した
その方もやはり後悔があると言う
親の病が見つかった時に
なんで気づけてあげられなかったのだろうと
後悔して自分を責めたと
確かにずっと一緒に生活してて
親の体調の変化など
気づかなかったらきっと自分でも
後悔すると思う。
突然亡くなった息子と
闘病されて亡くなられたその方
亡くなり方は違えども
そこに至る気持ちには
なんの違いも無いんだと
私の場合は亡くなる前日の後悔
その方の場合は病が見つかるまでの後悔
どっちも辛いねって
2人で話して涙した。
もしも亡くなる前日に
息子へ「明日病院行こう」って言ってたら
今とは比べ物にならない程の
後悔に襲われていたと思う。
自分が息子を死に追いやったと
気が狂っていただろう。
そう思ったらそれは
息子の優しさだったのかもしれないなって
無理矢理解釈した。
そう思わなければやっていかれないから…
今日も早く息子にお線香あげて
ただいまって言いたいな
最後までお読みくださりありがとうございます!