皆様お疲れ様です

今日は、2月3日節分ですね。

息子は鮪のお寿司が大好きだったので

鮪の恵方巻きとかお供えしてあげたいですね。


今回は②の続きの③ではなく

息子の死をどうやって受け入れていくか

今の私の気持ちを吐き出していこうと思います。


まずそもそも

子供の死、子供との死別を受け入れる事なんて

できる親はこの世にはいないと思います。


でもどこかで受け入れて折合いをつけていかないと

いけないんだろうなぁと思ってもいます。


息子(長男)は居なくなってしまいましたが

まだ家族が3人います。

いつか皆で前を向いていけたらいいな

なんて思ってはいますが、いつになるかは

全然想像もつきませんね。

一生このままなんじゃないか

この苦しみはこの先も消えないだろう

という思いの方が強いです。


ですので今、心は全く追いついていませんが

頭ではこう考えるようにしています。


息子は去年の春から就職もし、車も買い順風満帆

家族や友達と思いっきり遊び倒しつづけた日々

去年の地元のお祭りは

初めて家族全員で参加して

お神輿担いだり、太鼓叩いたりして

めっちゃ楽しかった。

息子が好きだったアジカンのライブも

初めて2人で行く事が出来た。

誕生日も祝って、クリスマス、年越しに初詣

家族でずっと一緒に過ごして楽しかったよね。


だから亡くなる直前まで

息子は幸せの絶頂だったのかもしれない

その楽しい気持ちのまま逝ってしまった

残された家族は辛いし

人生としたら21年は短いけど

息子の人生は充実して輝いていたに違いない。

そう思うようにしています。


少しでも良い所を見つけて

自分の中に落とし込むという作業を

今は頭の中で繰り返しています。


お別れや自分の気持ちは伝えられなかったけど

もしもお別れや気持ちを

伝える時間があったとして

例えばそれが病気で闘病して弱っていく息子を

看取るという事だったら、

私には辛すぎて出来ないけど

逆にそういう親御さんにとっては

最後まで病気と闘ったヒーローのように

誇りのように感じるのかもしれない

突然の別れの方が辛いと思うかもしれない。


だからどっちが良かったとか

そういう事じゃないんだなって

結局色々考えても辛い事には変わりないし

受け入れやすいとかそういう事でもなく


各お子さんや親御さん、家庭には

それぞれの物語があって

その中でそれぞれが

自分で飲み込んでいく事なんだろうなと

思いました。


今日久しぶりに昔の上司に会って

あとはいっぱい供養していってやれよ

と言われました。

その方も昔

お子さんを亡くしている方だったんですけど

その方の優しい口調ながらも

非常にさっぱりとした言い方に

なんか少し自分も救われたような

気持ちになりました。


頭では分かっているんですけどね

「心が追いつかねーやー!」と

日々叫んでおります笑


また次にこの話に触れる時は

今よりも1ミリでもいいから

前に進めてたらいいなーなんて思いながら

家に帰ったら

今日もとびっきりの笑顔で遺影に向かって

「ただいま!」を言ってやろうと思います。