今日は全くもって塾とは関係のないお話です。
ただの日記ですので、
塾関連の記事をご覧になりたい方は前日以前のブログをご参照くださいませ。。。
人は皆、誰かに支えられ、誰かの支えとなって生きていると思います。
私も、今までも、今も、たくさんの方々に支えていただきながら、毎日を送ることができています。
誰かを支えていることは・・・できていますかねえ。
できているならうれしいです。
そんな、自分を支えてくださった人たちの中で、申し訳ないのだけれど誰か一人、この人がいなかったら今の自分はいない、という人を挙げるなら、迷わずおばあちゃんの名前を挙げます。
小さいころから両親は共働きだったので、私のそばにいつもいてくれたのはおばあちゃんでした。
幼稚園にはお手製の手押し車に妹を乗せて毎日私を迎えに来てくれていました。
小・中学生の頃、ケガばっかりしていた私を見ては、いつもぽろぽろと涙をこぼしてくれていました。
高校生の頃、遅くまで勉強していると、夜食を作って部屋に持って来てくれました。おばあちゃんが作ってくれた食事に、私が嫌いで食べられないものが入っていたことはたったの一度もありませんでした。
誰よりも深い愛情を注いでくれていたけれど、私が間違ったことをしたときはきちんと叱ってくれました。自分が間違ったことをしていないって思うことで、おばあちゃんに叱られたことは一度もありません。
おばあちゃんを悲しませるようなことをしないことが、正しく生きることなんだって信じて日々過ごすことができました。
亡くなる10年ほど前、70を過ぎてから大病を患いました。大腸がんでした。手術に耐えるのも厳しい年齢だったけれど、信じられない精神力で8時間にも及ぶ手術に耐え、それから10年以上、また私たちと一緒に過ごす素晴らしい時間を与えてくれました。
亡くなった年の夏・・・おばあちゃんを連れて車で新潟に旅行に行きました。とても暑い夏の日でした。水族館の中を歩いて回るのも、大変そうで、途中何度も何度も通路の椅子で休憩しながら、それでも私たちと一緒に見学するのがとても楽しそうでした。
せっかく来たのだからイルカショーを見て帰ろうという話になったのですが、おばあちゃんはもう、すごく疲れていたらしく、観覧席までの階段を上るのがきついから、ここに座ってまってるから、あなたたち見てきなさい、と通路の椅子に座って言いました。
私はおばあちゃんを背負って、観覧席までの階段を上り、一緒にイルカショーを見ました。
忘れられないイルカショーになりました。
その年の夏は一緒にオリンピックを見て日本の選手の応援をしました。
そして、オリンピックも終わって9月の初め、横浜からの出張帰り、那須塩原の駅でおばあちゃんの入院の知らせを聞きました。
入院当初は歩けていたけれど、自力でトイレに行こうとして病院の廊下で転んでしまってから、歩くのを止められました。
それから、だんだん、だんだんと、弱っていくのがわかりました。
というか、弱っていってるのはずっとわかっていました。でも、それを認めてしまうことが怖くて、ちょっと風邪をひいたときみたいに、またすぐに元気になると思っていたい自分がいたんです。
けれど、どんなにそういう気持ちがあってももう認めなきゃいけないんだって、無理やり思わされているみたいに感じてしまうほど、現実はどんどんおばあちゃんの身体を細く・・・まるでなにかで削り取るみたいに細くしていきました。
9月の終わり、在宅医療に切り替えることになりました。
それがどういう意味を持つのかは、誰にでもわかることでした。
ちょうどそのタイミングで私は、勤めていた会社でどうしても我慢できないことがあって・・・
すっぱり会社を辞めて、おばあちゃんと最後まで一緒にいることを決めました。
蓄えもないし、次の仕事のアテも何もなかったけれど、今までずっと、自分のためにたくさんのことをしてくれたおばあちゃんに、もうできることはこれしかないと思ったら、こんなくだらない会社にいる必要なんて全くないやと思えてしまい、なんだかわけのわからない、懲罰会議だかの冒頭で「はい、やめます」と言って辞めてきてしまいました。
結局そのおかげで今の自分はこの仕事をやれているわけですし、やっぱりおばあちゃんには感謝しかないですね。最後の最後まで、世話かけっぱなしでした。
10月、私の誕生日の前日、おばあちゃんは亡くなりました。
誕生日と同じ日だと、私が悲しむと思ったのか、少しだけ急いで天国に行ってしまいました。
私の冗談に付き合っていつも笑ってくれていた、とても知的でお洒落でセンスのいいおばあちゃんは、ほんとに最後まで気の利いたことをする人だったなって思いました。
祖母が亡くなって、もう10年の歳月が流れました。
けれど私の記憶はこんなにも鮮明で、ずっと自分の中で祖母は生きていてくれているんだって思うことができます。
自分も、誰かひとりでもいいから、自分がこの世を去ったあと、こんな風に誰かの心の中で生き続けられる人間になれたらいいなって思います。でもまだまだ、ばあちゃんの域にはほど遠いですねえ^^;
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アメブロを更新する時や閲覧数をチェックする時、
いつも立ち寄らせていただいていた場所があります。
あなたの生きる姿、病と闘いながらも多くの人たちを元気にしてくれた、人としての力強さに、年代は全然違うけれど、私は祖母の姿を重ね合わせていました。
いちばん辛いのはご本人のはずなのに、どれだけの人たちに希望の光と日々のパワーを与えてくださっていたことでしょう。
小林真央さん
心よりご冥福をお祈りいたします