久しぶりにeastern youthを聴いた。これが本当に心に響く音楽なんだろうなって思う。お世辞でも顔はカッコイイとは言えない。このジャンルの音楽が苦手な人もいるが、かわいそうだなって思う。こんな素晴らしい曲嫌悪する意味が分からない。(そんなことを言っている俺がかわいそうか)
音楽は顔で聴くもんじゃない。その辺が、俺が顔だけでCDを買おうとする奴らを非難する大部分になるんだけど。
音楽は歌っている人の顔で聴くのか、声で聴くのか、詞で聴くのか。この中だったら俺はまず詞で聴く。次が声。顔では聴かない。なので男女問わずアイドルだからっていう理由で、顔がカッコイイからかわいいからっていう理由でCDを買ったり好きになったりする奴らが大っ嫌いなんだけど。だから顔で聴こうとする奴らが好きなモー娘が嫌いだったし、ジャニーズが嫌なんだけど。(また非難の雨霰(笑))まぁモー娘やジャニーズ好きな中にもその人たちが歌う歌が好きっていう理由でCDを買っている人もいるだろうし、決してその人たちを非難しているわけじゃない。
以前にも書いたけど、作詞や作曲のどっちかを歌っている本人がしていればそれだけですぐには嫌いにならない。浜崎あゆみもそのうちの1人で、作詞をしてるし、俺は別に嫌いじゃないかな。
森田童子の「たとえばぼくが死んだら」をカバーしているが、この曲はeastern yourthが歌ってこその意味があるような気がしてならない。悲壮感というか、吉野さんの声で聴くこの歌は説得力がある。もちろん原曲がいいからカバーが生きてくるわけで。ME FIRST AND THE GIMMME GIMMESはおバカなカバーバンドだけど、原曲のよさを十分に引き出している。
ところで、eastern youthはよく海外でもライブをする。結構前になるけど、確かヨーロッパをAt the drive inとツアーを回っていた。外人さんからはeastern youthの歌はどう聴こえるんだろう。
絶対に本質は理解できないと思う。eastern youthは日本語で歌う。日本語の本質を理解していないとeastern youthは理解できないと思う。日本人が聴いても難しい日本語を使うし、理解するのも大変だと思うし。浮雲を『Floating Cloud』って訳してたけど、それがあってるとも思えない気もする。外人がよく『日本語は難しい』っていうのが何となく分かる気がする。
でも海外でも大人気。伝えるメッセージの言語が違くても、伝わるものは一緒なのだろうか。俺が外人の歌を聴いて感じることと似ていることなのかもしれないが。以前にも書いたけど、英語だから言ってることが分からないけどメロディが好き。っていうのは俺はあんまり好きではない。本当に好きだったらできる限りそのバンドのことを理解しようとしようよって思ってしまう。
これだけは譲れないんだけど、皆聴いてるからとか、このバンド聴いてるって言うとカッコイイからとか、流行ってるからっていう理由で音楽を聴く奴を俺はマジで許せない。
eastern youthの「夏の日の午後」と井上陽水の「少年時代」は,、8月の終わりからちょうど今頃の季節の定番になってますね。
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因みに俺がeastern youthを知ったのはこのアルバムから。ベタだけど、その時の音楽の情報を集めるのはパソコンもなく容易ではなかった。俺の地元にはそういった類のバンドを揃えているお店も(タワレコとか)なかったし、今のところ1番好きなアルバムもこれ。「青すぎる空」はイントロのベース音聴いただけでもう引き込まれますね。
『いずれ暮らしの果てに散る』