偏差値教育を続けてきた日本の現状が「ゆとり教育」を生み、その結果どうなったかはニュースとかでやってますよね。結局「ゆとり」も廃止になったとかで。




 自分にとって先生と呼べる人は小学校の時に1、5、6年と担任だった先生だけです。3年間同じ先生に教えてもらったわけですが、1年の時のことは記憶にないにしろ、5、6年の経験や考え方が未だに今の自分を形成しています。


 唯一感謝し、尊敬している先生です。先生というか人間として。


 残念ながらその他の先生には何かを教えてもらった記憶がないんですよ。勉強以外にもっと大事なこと。やっぱり勉強のできるやつを評価する。運動神経のいいやつを評価する。何かに秀でたものを評価するその態度にかなり冷めてましたね。

 俺みたいに中途半端なやつはどうしたらいいんだー?って(笑)その時点ではこれといって取り柄もなく(まぁ今も特に何か取り柄があるかって言ったら疑問符ですけど)、何がすごいっていうものもなく。勉強も普通。運動神経も普通。それって・・・。1番相手にされないんじゃねーの?って。


 中学生にしては結構ませてた部分もあって、俺にはその考え方をする先生のやり方が気に入らなくてしょうがなかった。先生たちもそういう考え方を持っている俺にこともよくは思っていなかった。


 だから一時期ものスゲー勉強をして学年で20番以内に入ったことがあった。


 でもそれをカンニングと思われたんだけどね。




 もし高校受験や大学受験考えている方がこのブログ読んでたら、自分の意見は通しましょうね。俺は高校受験のとき実力的に2~3コ上のレベルの高校合格できたんですよ。自分でも自信はあった。でも当時の先生は絶対に無理だと志望校を受けることを頑なに拒否した。別に成績も下がっていたわけじゃなく、生活態度には若干の難はあったものの実力的には問題なかったと思う。でも首を縦に振らなかった。



 親もそれを信じた。数々の受験生を見てきた先生の言葉には説得力がある。



 もし俺にあの時、先生の言葉じゃなく俺の言葉を信じてくれるようにするだけの力があればまた違った人生を歩んでいたんだと思う。


 結果としては自分がもっと努力して、自分の行きたい志望校に入れるだけの力を見せつけてやることができていたらこういうことにはならなかったんだけどね。それには十分だったと思うんだけど。



 受験後に分かったことを一つ。うちのクラスで元々私立を志願していたものを除き県立を受験して不合格になったのは3人だけ。快挙!なーんて言ってたけど、それには裏があったみたい。もちろん不正があったっていうわけじゃなく。その先生としては、合格率のほうに重きを置いたんでしょうね。それが自分の評価につながるということも。


 かなりランク下の高校に行くことになった俺は、その高校での最初のテストの時、ほとんど勉強しなかったにもかかわらずある程度の順位をとってしまった。それが逆に俺からやる気を奪っていったわけだけど。


 高校での思い出も全く残っていない。学校にも2年の後半くらいからほとんど行ってなかった。出席日数ギリギリだったと思う。高校には友だちと呼べる人も(未だに連絡とっている人)も2人しかいないし。それも最近疎遠になってる。


 後悔だけはしないように。俺の場合は特殊だけど、勉強やれるだけやって順位や点数が上がった場合、普通の先生だったら評価しくれるはずだからさ。