リンゼイ・アンダーソン『八月の鯨』 | What's Entertainment ?

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1987年8月19日フランス・1987年10月16日アメリカ・1988年11月26日日本公開、リンゼイ・アンダーソン監督『八月の鯨(The Whales of August)』。





製作はキャロライン・ファイファー、マイク・カプラン、製作総指揮はシップ・ゴードン、脚本はデイヴィッド・ベイリー、音楽はアラン・プライス、撮影監督はマイク・ファッシュ。製作はアライヴ・フィルム・プロダクション。
1987年/アメリカ/英語/91分/スタンダード

撮影当時、D.W.グリフィス監督の作品への出演等でサイレント時代最大のスター女優と謳われたリリアン・ギッシュは91歳、ハリウッド黄金時代のスターだったベティ・デイヴィスは79歳(本作は、彼女の出演作100本目)であった。リリアン・ギッシュは1993年、ベティ・デイヴィスは1989年にそれぞれこの世を去っている。





なお、音楽を担当したアラン・プライスは、もちろんジ・アニマルズでVOXオルガンを弾いていた彼である。




本作は、2013年にニュープリント版が公開されている。


こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。

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8月、メイン州の小さな島。かつて伯母が建て、今ではセーラ・ウェッバー(リリアン・ギッシュ)が所有する別荘に、リビー・ストロング(ベティ・デイヴィス)とセーラの老姉妹は毎年避暑に訪れている。




彼女たちが少女だった頃、入り江には鯨が姿を見せたものだった。その記憶は二人の脳裏に今も焼きついているが、それも遠い昔のことだ。島には新しい人々が増え、世の中は変化していた。
セーラは、第一次世界大戦で早くに夫を亡くした。その頃、妹を不憫に思いリビー夫妻は15年間彼女と共に暮らした。未亡人となり視力も失ったリビーは、娘との折り合いが悪く今では15年もセーラの世話になっている。
元々きつい性格だったリビーは、いよいよ偏屈になりセーラもほとほと手を焼いていた。




幼馴染でやはり今は未亡人のティシャ(アン・サザーン)はそんなセーラを気遣い、リビーの面倒は彼女の娘に任せて自分と一緒に暮さないかと言って来た。
老大工のジョシュア(ハリー・ケリー・ジュニア)に提案されてセーラは別荘に大きな見晴らし窓を作りたいと思うが、今更自分たちに新しい物など必要ないとリビーは即座に異を唱えた。
ご近所で最近連れ合いを亡くした帝政ロシア時代の貴族の末裔マラノフ(ヴィンセント・プライス)が魚釣りの獲物をおすそ分けに来ても、自分は魚など食べないとリビーはけんもほろろだ。




セーラの招待でディナーに再び別荘を訪れたマラノフは、食事の後で自分の身の上話を始める。セーラは心ときめかすが、孤独な流浪の人生を送っているマラノフのことを警戒したリビーは、「この家があなたの次の居場所になることはない」と拒絶する。
翌朝、岬まで鯨を見る行く約束をしていたセーラとマラノフだったが、その一言でマラノフはその約束を辞退。もうこの別荘に来ることもないと言って帰って行った。マラノフの後姿を見送りながら、セーラはリビーとの関係を断つ決心をして、一度はそのことをリビーに告げた。

もはや二人の関係を修復するのは不可能だと諦めたリビーは、夏が終われば娘のところに行くと寂しげに言った。
46回目の結婚記念日の夜、セーラは夫の遺影に向かって「もう、リビーと一緒に暮らすことは限界…」と語りかけた。

翌朝、ティシャが不動産業者を連れて別荘にやって来る。リビーと別れて自分のところに来るなら、この家を売ってしまうべきだと先走っての行動だった。
しかし、彼女の出過ぎた真似にセーラは憤りを感じる。自分は家を売るつもりのなければ、リビーと離れるつもりもないと言って不動産業者とティシャを追い返した。

騒ぎを聞いて起き出して来るリビー。そこに、忘れた工具を取りにジョシュアがやって来る。リビーは、見晴らし窓を作るにはどれくらいの工期がかかるのかと聞いた。私たち姉妹で話し合って、やはり窓を取りつけることにしたのだと。
ジョシュアは、「まったく、あんたらにはやきもきさせられる」と呆れ顔で出て行ったが、その言葉を聞いてセーラの表情はパッと明るくなった。

リビーは、岬まで散歩に連れて行けと言って手を差し出した。その手を握ると、セーラはリビーを連れて岬まで行った。

「もう、鯨は行ってしまったわ」と言うセーラに、「決めつけるもんじゃない」とリビーは言った。



二人の人生があとどのくらい残されているのかは分からないが、それでも姉妹はもう少し前を向いて生きて行くことに決めたようだった。鯨の再訪を待ちながら…。

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往年の大女優二人が共演して話題となった作品である。日本では、ミニシアターの先駆けと言われる岩波ホールの創立20周年記念作品としてロードショウ上映され、当館としては異例のロングランとなった。

リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス以外の役者たちも往年の名優ばかり。アン・サザーンはMGMのミュージカル・スター、ヴィンセント・プライスはクラシック・ホラー俳優の第一人者、ハリー・ケリー・ジュニアはジョン・フォード作品の常連俳優である。

その名優たちが、ありのままの老いた姿でイノセントな芝居に徹した(と言っても、ベティ・デイヴィスの役はいささかギミックがあるが)とても地味で粋な作品である。
キム・カーンズが歌った「ベティ・デイビスの瞳」は全米チャート9週連続第1位の大ヒットとなったが、本作でベティ・デイヴィスが演じたのは視力を失った女性というのも趣深い。




肉が削げ落ちて魔女のようなルックスのベティ・デイヴィス、齢90を越えても銀幕の聖女と呼ばれた若き日の面影を残すキュートなリリアン・ギッシュ。対象的なリビーとセーラの姉妹を、二人は迫真の演技でリアルに表現する。

ストーリー紹介をお読み頂ければ分かるように、物語には何らドラマチックなトピックは出て来ないし、派手な仕掛けもない。
あるのは、穏やかで美しい自然、過ぎ去りし日々、喪われた人々と変わり行く時代、老いと残された時間…ただ、それだけだ。大女優二人の晩年の共演という話題性はあるにせよ、本当に地味な作品である。

しかし、リビーやセーラが抱える「老いて行くことへの不安」や、「残された時間への焦燥」と言ったものは、リアルで残酷な“時の刻み”としてこの作品を観るすべての人の心に分け入って来るだろう。
リンゼイ・アンダーソンは、この姉妹の水面下の確執を丁寧に追いながら、しかし絶妙な距離感で淡々と描いて行く。

一端は袂を分かとうとした老姉妹は、再び共に生きて行くことにする。岬に行こうと言って互いの手を取るリビーとセーラの“絆”に、僕の心は静かに、けれど温かく震えた。
そして、鯨の再訪をいつまでも待ち続けるセーラと過ぎ去った昔の出来事とドライに否定するリビーという構図が、ラスト・シーンでは反対になる。
そのささやかなドラマチックさには、誰もが優しい気持ちになれるだろう。

本作は、まるで奇跡のような静かで美しい徹頭徹尾映画的な逸品。
豊穣いう言葉こそ相応しい一本である。