レゲエ・ミュージック・クロニクル Part2~UKパンクとレゲエ | What's Entertainment ?

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映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

レゲエが及ぼした音楽的影響について考えた時、イギリスでの圧倒的なリアクションと比較して、あまりアメリカでの状況が思い浮かばない。例えば、アメリカにおける本格的なレゲエのミュージシャンは?と聞かれると、ビッグ・マウンテンくらいしかすぐには出てこない。
むしろ、アメリカにおけるレゲエの文化的影響は、音楽形態よりもスタイルのおいてこそ大きいのである。それは、
レゲエがヒップホップと大きく結び付いているからである。この二つ、あまりストレートにはつながらないかもしれないが、「サウンドシステム」というキーワードを挟めば理解しやすいだろう。移動式の巨大音響システムとDJである。ヒップホップの音楽的なバックグラウンドにあるのは、もちろんファンクのリズムトラックであるが、ラップのMCスタイルに直結するのは、間違いなくジャマイカンDJのトーキング・スタイルである。そして、言うまでもなくストリート・ミュージックであることだ。

35mmの夢、12inchの楽園

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一方、イギリスにおいてはより音楽スタイルに直結した影響を受けている。UK産の本格的なレゲエ・バンドも枚挙にいとまがない。レゲエはイギリスに音楽ジャンルとしての影響を大きくもたらしたのである。それを象徴するのが、まずは聴かれ方である。70年代中期のロンドンにおいて、スカやレゲエのリスナーとはルード・ボーイやスキンヘッズであった。つまり、レゲエが反体制を標榜したことが、不良連中たちのハートをつかんだ訳だ。それから間もなく登場してくるストリート・ミュージックが言うまでもなくセックス・ピストルズに代表されるパンクである。音楽的にはずいぶんと異なるこの二つ、実は反体制的な歌詞とビートにおける革命的なシンプルさという点で大きな共通項があるのだ。また、イギリスにはジャマイカ移民が多かったことも大きな要素である。
これらの要素が絡み合い、イギリスにおいてパンクが爆発的に流行した時に、レゲエとの相互作用がもたらされたのである。

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代表的な例として挙げられるのは、もちろんザ・クラッシュである。彼らは、1stアルバム『白い暴動』において、早くもレゲエを取り上げている。ジュニア・マーヴィンの「ポリスとこそ泥」である。そして、その後もシングル「コンプリート・コントロール」ではプロデューサーにリー・“スクラッチ”・ペリーを迎える。その他にも、「プレシャー・ドロップ」「ハルマゲドン・タイム」といったレゲエ曲のカヴァーをしたり、4thアルバム『サンディニスタ!』では、3枚組全編でレゲエを展開した上に、マイキー・ドレッドを参加させたのである。


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そして、もう一つの代表例として挙げなればならないのが、2トーン・レーベルである「2 Tone」=「市松模様」は、もちろん黒人白人交合を意味しており、その言葉通り、このレーベルに所属するのは、ザ・スペシャルズ、ザ・セレクター、ザ・ビートといった黒人と白人の混成グループが多かった。例外として、イギリスの国民バンドとまで言われたマッドネス(日本で、ホンダ自動車「シティ」のCMにも登場した)がいる。彼らの演奏する音楽は、高速化したスカ・ビートであり、それは、まさにジャマイカン・スカのパンク化したスタイルであった。


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ちなみに、2トーンの生みの親であるジェリー・ダマーズが率いるザ・スペシャルズは、そのメンバーにトロンボーンのリコ・ロドリゲスを加えていたが、彼は60年代からジャマイカで活躍してきたベテラン・ミュージシャンであった。リコはソロでも作品を発表しているが、珍しいものとして渡辺貞夫「モーニング・アイランド」のレゲエ・ヴァージョンがある。


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その他にも、いささかマイナーな存在ではあるが、イギリスで最も早くレゲエのスタイルを導入したザ・ラッツというグループもいる。
また、2トーンではないが、やはりスカ・パンクのバッド・マナーズも忘れてはならない重要バンドである。


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さて、次にイギリス産の純粋なレゲエ・バンドについて見てみよう。重要なバンドとしては、最重要プロデューサーとなるデニス・ボーヴェルがいたマトゥンビ、後にラヴァーズ化するアスワド、後に『ラブ・アイランド』が大ヒットしてトロピカル・ポップ化するサード・ワールド、ずっと強靭な政治的メッセージを発信し続けたスティール・パルス、バンド結成当時はメンバー全員が楽器演奏できなかったという今では国民的バンドのUB40辺りは、チェックしておきたい。
特に、デニス・ボーヴェルという人は、マトゥンビ解散後に、ソロ・ミュージシャン、プロデューサーとして、ブリティッシュ・レゲエ、ニュー・ウェーヴ・シーンに大きな足跡を残すことになる。


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そのデニス・ボーヴェルであるが、彼がプロデューサーとして、ミュージック・シーンに大きな影響を与えた作品が、ザ・ポップ・グループ『Y(最後の警告)』、ザ・スリッツ『カット』、ダブ・ポエットのリントン・クウェシ・ジョンソンの一連のアルバムである。これらの先鋭的な作品を製作する一方で、彼は、ラヴァーズ・ロックにも大きな功績を残している。その代表例は、ジャネット・ケイの『シリー・ゲームス』である。


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そして、レゲエがニュー・ウェーヴ・シーンに残した大きな衝撃と言えば、もちろんジョン・ライドン率いるパブリック・イメージ・リミテッドである。彼らの音楽的要素の2大支柱はホルガー・シューカイの在籍したドイツの前衛バンドであるカンからの影響とダブである。


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ニュー・ウェーヴが失速していく中でも、一人気を吐いていたのが、ザ・ポップ・グループ解散後のマーク・ステュアートである。彼は、白人プロデューサーのエイドリアン・シャーウッドと組んで、より過激なダブ・サウンドの数々を製作していく。また、エイドリアン・シャーウッドの手がけたプロジェクトであるニュー・エイジ・ステッパーズもマーク・ステュアート同様に重要な役割を果たしたと言えるだろう。


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このようにして、イギリスにおいては、パンクとレゲエが有機的に結びついて、時代を尖鋭的にリードする過激な音を模索していったのである。

そして、今現在その当時の音を聴いても、全く古びていないところはまさに驚異的である。

意志の力とサウンド・スタイルが時代を超越して普遍性を獲得しているのだ。


そう、パンクにしろレゲエにしろ、その音楽は、常に新しいのである。