きょうの昼飯は寿司にしようかなぁ、あなたはそう思い会社の近くに最近オープンした回転ずし屋をおとずれた。この店は1ヶ月ほどまえにコンビニ跡地へ居抜きではいったすし店で時間をとわず繁盛しており、とくに昼どきは並ばなければ入れないほどである。「旨くて安い」というのはサラリーマンにとって外食における必須の条件だから、とうぜんこの店も安価にしてネタも大ぶりで旨いと評判だった。
10分ていど並んであなたはちょうど座ったところだ。おおぶりの湯飲み茶碗へパウダー状に粉砕された緑茶を入れ、あたかも生ビールをそそぐかのように目のまえの給湯装置に茶碗を押しつけて濃いめの日本茶をすする。レーンのうえを噂どおり大きめの握りが存在感タップリに回っている。レーンの内側にはたいていすし職人がいて足りないものを補充したり、客の注文をうけて個別に握ったりするのがよくある光景だが、この店にはいない。そのかわりに客席の前にはタブレット型のタッチパネルが置かれてあって、握りの写真と個数を注文する電卓のようなキーがついている。人件費を徹底的に圧縮することでコストを抑えているようだ。ちかごろは集客のためにラーメンやカレーライス、さらにはチョコレートパフェなども出す店があると聞くが、ここにはそういう品は置いていないらしい。むしろ好感がもてるというものだ。
それにしても慣れというものはおそろしい。その昔はじめて「回転ずし」と出会ったときには「これが飲食店か!?」と仰天したものだが、いまでは目のまえを寿司が回っていないふつうのすし屋に行くと、なんだか頼りなくすし職人との空間が気詰まりになってしまう。こういうふうに時代というのは変化していくのだなぁ、と感慨にふけったあなたはマグロの赤身を手に取る。表面に照りのようなつやがあるのでヅケらしい。ネタもシャリも大ぶりだから女性はひとくちでは無理だろうなと思いつつ、あなたは思い切り口をひらいて詰め込むように食べる。…うん、いける。づけダレがいい頃合いに赤身にしみ込み、シャリの酢かげんも絶妙である。これがワインの世界だったら「理想的マリアージュ」なんていうところだね。
お、こんどはコハダがきたよ。〆ものに目がないあなたはとうぜん皿を引き寄せる。かがやくような表面は鮮度がいい証拠だ。すっと包丁の切れ込みがはいっていて、まるで銀色のオブジェみたいじゃないか。ちょっと醤油をつけ、これまた大口で食べる。
酢と塩のバランスがみごとな〆加減で、もう文句のつけようがない。こうなりゃ喰えるだけ喰っちまえ、あなたはそのままアジ、イクラ、炙り〆サバ、トロサーモン、エンガワ、中トロと、もう大満足なのだった。
この店の面白いところは食べ終わった皿を目のまえにある回収口にじぶんで入れるのである。どうやら皿の裏側にICチップのようなものが付いているようで、それで料金計算するらしい。なるほど、徹底的に人件費を削減しているわけだ。そして会計も、最近よく目にするスーパーのセルフレジのように席に座ったまま済ませるのである。まぁ、なにせ人手不足の世のなかだからだんだんとこうなっていくんだろうな。でもそのぶん食材にお金がかけられて美味けりゃいうことないよね。
いゃあ、喰った喰った。おまけに美味かったし、と会計を終えて席をあとにしたあなたは、帰りがけに何気なく寿司の皿が出てくるすき間からつけ場を見た。
そこですしを握っているのは、なんと工場の製造レーンなどにあるロボットだったのだ!
…さて、以上は完全なるわたしの作り話しなのであるが、あなたはどう思うだろう。あるいは作り手がロボットではなく、いかついメジャーリーガーのようなアメリカ人留学生だったとしたら、あるいはフランス新大統領のようなひ弱な感じのヨーロッパ人だったら、どうだろう。
荒唐無稽な話しではない。わたしたちの日常とは、ある意味でいうなら美しき誤解、あるいは美しき思い込みのなかで生きているのである。真実を知ることが、だからつねに良いことだとはいえない。





」

