アントン・ブルックナー、わたしは彼の対極に位置するであろう作曲家についてどうしても書かねばならない。ひとつには敬愛する両名のために、もうひとつは長年音楽とともに生きてきた、わたしの耳のために。
ブルックナーの対極に位置する作曲家、それはベルリオーズだとわたしは思っている。
両名の取り合わせに「?」というひともいるかもしれない。あるいはベルリオーズのことを、そもそもよく知らない、あるいは興味がないというひとも多いのではないだろうか。
かまわない。この小文はそういうことを前提として綴るつもりだ。
さて、わたしたちがヨーロッパの音楽を聴くとき、その曲が書かれたときの日本はどういう時代であったのかということを認識しておくことは無益ではないだろう。
ブルックナーは1824年に産まれ1896年に死んでいる。日本流にいうと文政7年から明治29年 - 勝海舟がちょうど1823年から1899年だから、同時代といっていい。つまりブルックナーの傑作とされるシンフォニーはすべて明治時代のなかばに書かれたわけである。
いっぽうのベルリオーズは1803年から1869年、享和3年から明治2年となる。比較参考のためにあげておくとベートーヴェンは1770年から1827年。ベルリオーズ誕生の年にべトーヴェンの交響曲第2番とピアノ協奏曲第3番が初演されている。したがってベルリオーズの青春、青年時代はこんにちのわたしたちが知っているベートーヴェンのほとんどの作品が創られたときと重なっている。ベルリオーズ27歳のときにべトーヴェンが死んでいるので、深みの極みともいえる晩年の傑作群書いているとき、ウィーンとはほど遠からぬパリのコンセルバトワールで彼は学び、かつ自身の音楽を創るべく格闘をしていたのである。
ベートーヴェンが「第9」で交響曲という分野に終止符をうったと思われたあと、まったく新しいアプローチでこの領域を拓こうとベルリオーズは模索していた。本人は自覚していなかったとしても、歴史がそれを証明する。
「幻想交響曲」は「第9」の初演から6年後、ベートーヴェンの死からわずか3年後の1830年に発表された。ベートーヴェンが絶対音楽にとどめを刺してからたった6年の間隙で異次元の音楽が現れたことになる。「表題音楽」という、ある意味で音楽自体を崩壊へと導く禁断の扉がおおきく開かれたのである。
いやいや、ここは音楽史を述べる場ではなかった。
ブルックナーが自身の交響曲のなかで「鳴りもの」をつかうことに逡巡していたことはすでに書いた。と同時に音楽とはかれにとって信仰のひとつの表現であったことも教会のオルガニストということで触れた。もっと率直にいえば、ブルックナーはオーストリアの田舎教会のオルガニスト&作曲家なのであり、洗練だとか変革などというものからいちばん遠いところにいたひとである。
ブルックナーより20歳以上年長にして、医者となるべくパリにいたベルリオーズは、とうぜんながらブルックナーとはまったく異なる環境のもとで育ち、最先端の刺激のなか生きていた。
おもしろい話しがある。前述のように「幻想交響曲」はベートーヴェンの死後わずか3年後に発表された曲なので、あえてカテゴリー分けするなら「古典」である。かつて岩城宏之がウイーン・フィルの定期を振ることになったときのプログラムがハイドンのシンフォニーと「幻想交響曲」だった。当時の楽団長が岩城に「ベルリオーズは新しい音楽だからイワキの好きなように振っていい。だがハイドンはわれわれの演奏に合わせて振れ」と伝えた。岩城宏之本人がそう書いているのだから真実だろう。ウイーン・フィルにとってベルリオーズは、たとえばストラビンスキーとかバルトークみたいな感覚でとらえられているわけだ。…まぁ、それもどうかと思うが。
話しをすすめる。
ベルリオーズはいまでも管弦楽法の大家 - すなわちオーケストレイションのお手本とされている。かれは医者になるための勉強を放棄してコンセルバトワールにはいり、形式とか和声学などを徹底的に学んだ。したがってかれの書いた音楽には形式とか和声の破綻や破壊というものはないので、ただその響きの多様性 - 今ふうに表するならサウンドにおけるダイバーシティの追求が理由で異端視されただけである。
華麗な響きをもとめたベルリオーズはとうぜん楽器のかずも多くなる。挙げだしたらキリがないので少しだけ紹介する。
たとえば「幻想交響曲」ではティンパニ奏者が4人必要だ。なぜならティンパニでハーモニーを奏でるから。
また第2楽章は典雅なワルツでハープが用いられる。譜面上は2台だがベルリオーズは「多ければ多いほどいい」と指定する。ブルックナーが第8シンフォニーでハープ3台だったのに、そう思われるかたのために言っておく。ブルックナーは3台すべてユニゾン、すなわち同じ旋律しか弾かない。ベルリオーズはべつべつの声部、ちょうど第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのように書き分ける。そしておのおのがオーケストラの音にかき消されないよう「できるだけ多く」と指定するのである。
そもそも交響曲にはメヌエットが必須であったのに、さすがベルリオーズはワルツ、それも超一流のワルツを書いた。いっぽうのブルックナーはスケルツォだが、これがひどく重厚、というより野暮ったい。極めつけはトリオの部分で、第9番以外は田舎舞曲のレントラーになってしまう。
「幻想」の終楽章ではなんと教会の鐘まで登場する。奇をてらったわけでなく、死者を表現するための音として。
う~ん、まだまだ書き足りないのだが、疲れたのできょうはこれまでということで…。