自然は生きものではない。でも生きものは自然のなかにいる。

 

コトバという高度な道具を習得してしまった人間という生きものは、だから森羅万象を人間にみたてて説明するという奇策をあみだした。これはおおいに有効で、ほんとうはよく判っていないことでも判った気になってしまう。いわく「ガンが怒りだした」とか「こころが騒ぐ」とか。

 

だが、おそらく最もひんぱんに用いられるのは天候を擬人化することではあるまいか?

 

自然科学の領域でわたしたちの日常にいちばん影響するのは気象だから、説明するほうもされるほうも人間にたとえることで理解あるいは納得感が強くなるわけだ。

 

むかしは見上げるものだった空も、技術進歩のおかげで見下ろすことができるようになった。天気予報の確度はそのことでおそろしく高まったわけだが、だからといって自然現象が安易になったわけではない。天気予報をまるでクイズか何かのようにあつかっているニュース番組があるが、冗談もいいかげんにしておかないととんでもないしっぺ返しを喰らうことになるだろう。

 

相手は感情や意思などない大自然なのである。パスカルのいうとおり、人間を倒すことなど自然にとっては何ほどのことでもない、などと人に擬しているわたし自身が恥ずかしい。