おはようございます
2019年8月、母の初盆を迎えました
一年前、母が昏睡状態に入るなか受けた健康診断で、ガンの疑いを指摘されたのが8月でした
その後、毎日気持ちがギリギリの怒涛の一年でした
あれから一年
今、なんと平穏な毎日を過ごせているのだろう
お墓の前で
”お母さん ゴメンね 心配かけて 一年かけて元気になったよ!”
そんな報告ができることが嬉しかった
8月には、ガン治療後初めて健康診断を受けました
やっと取り戻した日常を放したくないという気持ちから”怖いなあ”と、思いましたが、結果は概ね異常なしでした
この時受けた採血が、それまでで一番最悪でした
失敗された上に、なぜか手首から採血され、激痛、その後数時間しびれました
そして、約10センチほどみみずばれのようになり、スーッとそこだけヒンヤリしました
※下の切り傷は関係ありません
鬼門の乳腺んエコーはサラッと終わりました
何もないと、さらっとしてるのねーーー
この頃、主人から、なんかこ~~う
”もう 大丈夫”って思われてるな・・・と感じていました
”まああ 大丈夫なんだけど大丈夫じゃないんだよねえ”
乳がんの告知を受け、手術の時はもちろんですが、放射線治療後半で体調を崩した私は、主人にかなりの負担をかけました
子どもの部活動で役員をしていましたが、それも私は降板状態で主人が一人で乗り切りました
一部を言えば・・
息子の部活では、遠征というものがありました
高校総体前の時期、遠征は毎週のようにあり、3~4回組まれます
県立高校なので、マイクロバスなどありません
保護者の車で送迎なんですが、それぞれに仕事の都合もつけてもらわないといけません
根回しは相当なボリュームになります
そして、会長だったので、主人は全ての遠征に参加しました
さらに、長男の退部騒動がありました
私は、すぐに感情的になるところがあり、息子とは毎日言い争いのようになっていました
長男は私に心を開かなくなり、話し合いは息子の意見も聞くことのできる主人が一人ですることになりました
退部危機になったお騒がせ息子が6月に引退し、私の転院騒動が落ち着き、ホルモン治療が軌道にのりだしたのが、8月位でしょうか
主人は”ここらへんで、ちょっと休憩させてくれ・・”という気持ちだったのかな?
と、思います
私はすこし、さみしく感じました
もふもふ
”何か最近おばさん体形になってきた~~”
パパ
”おばさんなんじゃない?”
もふもふ
”ダルくてキツイ~~~”
パパ
”歳なんじゃない?”
ダーーー
カーーー
ラーーー
思えば・・・乳がん発覚の頃、私は足元も見えないような嵐の中で崖を踏み外して谷底へ落ちてしまったようでした
誰も私のことに気づかない中、先生が谷底にいた私に気づき、私を助けようと、先生をはじめ、医療関係者の皆さんのたくさんの力で縄ばしごを下ろしてくれた
今、私が登っているはしごは、医療関係者の方だけでなく、治験などに参加された同じ病を持つ勇気ある先輩方からも、おろしてもらっているんだろう
私には、手も足もあるのだから、自分で登らなければいけないけど、お疲れモードなんだな・・・
私のいる谷底まで来れるのは、家族だけだと思う
一緒に登ってくれたら嬉しいよね
上からのぞいて
”上がっておいでよ~~”
って、いわれてもなあ~~