おはようございます
ホルモン治療を開始してすぐの頃、更年期のような症状が出なかったため、あまり体の変化を実感していませんでした
ですが、数か月たち、生理に変化が現れたことで、
”ああ~~ 私の体は変化している”と、実感することとなりました
この頃から、気持ちも変化していきました
生理に変化が現れ始めると、職場で起こるささいなことを”つらい”と、感じるようになりました
二人の子供を授かることができたことは感謝しています
ですが、”ホルモン治療を受ける”ということが、自分にとっては悲しいことに感じました
仕事中、生理用ナプキンを品出ししながら、今まで見向きもしなかったような”かわいいデザイン”や”限定パッケージ”に目がいくようになります
”もう関係なくなるな・・・”と、思うと悲しくなります
今まで、安いお得パックしか買ってこなかったのに・・
パート仲間は大半が40代~50代の主婦です
たまにですが、生理のことや更年期のこととかが話題になったりします
”どうでした~~? ひどかったですか~~?”
”んん~~ ひどい人もいるみたいだけど~私はね~あんまり何ともなかったのよね~~”
”あともうちょっとかなあ~~って思ってるんだけど・・・”
何気ない会話だということはわかるんです
でも、会話の中に入ることはできません
自分の状況を説明できないし、したくない
自分の心の貧しさにも嫌気がさします
”ナゼ・・・あの人たちにあって、私には、ないんだろう・・・”
初めての感覚でした
ナチュラルな胸を失っても、人様の胸を羨ましく思ったことはなかった
自分の執着が”胸”にあるのではなく”女性という性”にあるのだと、この時に思いました
自分の心の動揺がバレはしないかと、平静を装うのに必死です
初めて、
”惨めだ”と、感じました
私は、病気になる前までは、老いていくことは受け入れているつもりでした
44才でしたから、すでにおばさんだったわけで・・・
白髪が増え、シワ・シミが増え、体形が変化し・・・
ただ、それは”同世代と同じペースで、ゆっくりと老いていく”ということを前提にした受け入れだったのかなあと、思います
例えるなら、通常の”老い”とは、同世代のみんなと、ハイキングをしながら山を降りるような感じでしょうか
周囲の景色を楽しみ、おしゃべりして、愚痴を言って、休憩して・・・
ホルモン治療は、周りの同世代がハイキングを楽しむなか、崖から落ちるようにふもとにたどり着き、傷だらけになる感じ
受け入れられません
”女性”っていう”ぬるま湯”にどっぷり浸かっていたけど、ホルモン治療を始めて、ぬるま湯は”氷水”にかわり、浸かっていられなくなり・・・
慣れない状況に心がブルブル震える
でも、同世代は、まだぬるま湯に浸かっている
そして、そのことを自分もそうであったように、”自覚していない”ということも見えてしまう
彼女らの浸かっているお湯は、長い年月をかけて冷めてゆく
私は、そのタイミングやスピードが早かったということ
この頃、何かのトピックでGENKINGさんの記事が目にとまりました
水着の写真をUPすることに対して、ご自身の思いを綴っておられました
批判を受けるであろうことは承知の上でUPしている
”気持ち悪い”などと、批判する人がいることはわかっている
自分が思春期だった頃、”水着が着たい”と、思ったけどできなかった
こんな私でも、水着が着れるようになった姿を、日本のどこかで悩んでいる子達に届けたい
そのためには、批判を恐れていては、届けられない
だいたいこんな内容だったと思います
彼女の捨て身の姿勢
彼女の想いを、勝手にお裾分けしてもらったような気分
心の中心で
”届いてるよーーーー”
と、叫びたい気持ちでした
彼女の苦悩は、私には計り知れない位大きなものだと思います
心の性と、性別との隔たり
ホルモン治療を経験して、彼女らの苦悩が、前よりは少しわかるようになりました
女性としての心、外見、体の機能、今まで自覚なく一致していたものが、離れていく焦り、
できてしまった溝に何か埋めなければとジタバタしてしまう心
病気になったら、手術をしたり、薬を飲んだり・・
作用があれば、副作用もあり、それは病気によっても、人によっても様々
今まであったものを、失くして生きてゆく
得ずして失うことはないのだろうけど、欠損したものを悲しく思うのは自然なこと
私の場合は、それが
”ホルモン治療を受ける”
というものだったということ