おはようございます
術後半年の検診を受けた数日後は、私の45歳の誕生日でした
今までの感覚とは少し違って、
”年をとってしまった”ではなく、
”もっとおばさんになれた
ありがとう”
という感謝の気持ちがわいてくる
新感覚でした
週末、子供達がたまたま学校や部活でおらず、二人でお出かけをしました
主人が誕生日プレゼントを買ってくれるというので、ミキサーを買ってもらうことにしました
それまで持っていたミキサーはパワーが弱く、使い勝手が良くありませんでした
ずっと欲しかったし、ちょっと奮発してもらいました
エディオンへいき、値段も気にせず、お買い物です
この時買ったミキサーは、想像以上の働きをしてくれています
お気に入りです
その後、主人が
”新しくできたカフェがあるから行ってみよう”というので、行ってみることに
キャ~~~デートみた~い
と思いましたが、心の中は沈んでいました
車の中で主人が転院のことについて聞いてきます
私は、もし転院する場合は、もとの検診を受けた病院に戻ろうと考えていました
車で1時間圏内に、国立医療センターや大学病院があります
ですが私は、もっといい先生に診てもらいたいとか、もっといい設備でとか思っているわけではありませんでした
”ここではないどこかで治療を受けたい”
という逃げの気持ちだったと思います
検診は、主人の職場の検診を夫婦で受けている形(被扶養者として受診)だったので、主人も検診の病院のことをよく知っています
あまり、先生方の印象がよくないことや、治療実績が少ないこと、設備が劣ることなどが気になるようでした
”○○病院てさ~設備とかどうなんやろねえ~~
やっぱりねえ ああゆうの治療実績なんだよねえ~~”
遠まわしに、今の病院がいいと、言いたいようです
心配してくれているのはわかるのですが、私は内心イライラしてしまい、思っていることを、思わず吐き出してしまいました
”いい先生に診てもらいたいとか
転院先の先生と、合わなかったら嫌だとか・・
そんなことは思ってない!!
自己都合で転院すること
わかってる!
それでも転院したい!”
と、言ってしまいました
少しの沈黙のあと、主人が言いました
”転院しよう!
両方の病院の最後と最初の診察には、仕事を休んで付き添うよ
先生と話もしないといけないし、書類こともあるだろうから”
と、言いました
”なんか 温かい”
と、思いました
”転院したい”という気持ちを誰からも寄り添ってもらえず、病院だけでなく、パパからも放りだされるような気持ちになっていました
転院したら本当に一人になる、片道切符で一人旅をするような・・・
これから歩む道が、とても冷たい道であるように感じていました
一人になることを恐怖に感じていたけど、それでも仕方ない・・・
だってもう無理・・・
そう思っていました
一人で”つらい”と、感じていた私でしたが、大切な人からギュッと抱きしめてもらったような温かさを感じました
この時に、何かが流れていったように思います
ここで初めて
”本当はどうしたいのか?”
と、自分の心の中を素直に見つめました
”もう転院したい
不安な毎日を過ごし、外来のたびにつらいと感じ、不安なことがあっても相談できないと感じるのはもう嫌だ”
ホルモン治療5年という長い期間を、伴走者なしで走れない
でも、本当のところ、不安な気持ちを先生にわかってもらいたいと思っている
”転院したい”という気持ちは、”先生にわかってもらいたい”と思う気持ちの裏返しだ
裏返った行動や、気持ちしか出せないのは、子どもと同じだ
わかってもらえない原因の一つには、自分のコミュニケーション能力の不足もあると思う
何より、命がけでギリギリの治療をされている方がいらっしゃることを、肌身で感じていながら、
”わかってもらいたい”
と、思うのは考えが甘いのだろう
仕事中、明らかにウィッグを被った女性が、自分のものと思われるサイズの介護オムツを買っていかれる
”いらっしゃいませ”と、声掛けすると、ごく自然に
”こんにちは”と、返ってきた
動揺した
逆の立場であれば、絶対こんな態度をとる余裕はない
やっぱり私は甘いんだ
この日は
”私には心強い人がいてくれる
だから 大丈夫!”
と、思えた日でした
45才! 最高!
ここでガンバロウと思いました