おはようございます
放射線治療の最終日(2019年1月末頃)、治療を終えて帰宅すると、もう何のエネルギーも残っていない状態で体調も悪く、家事もせず寝ていました
夕方、次男の通う中学の担任から電話がかかってきます
先生
”今日は次男君のことでお電話だったんですが・・・ ”
聞けば、次男と同じ係をしている男の子が欠席していた間、息子が一人で係をしていたそうですが、その子が登校してきたときに、次男が命令口調な物言いをしたとのこと
次男
”○○君が休んでた間、俺が一人で係をやってたんだから、○○君が全部やれよ!”
と、相手の子にいい、相手の子はそれを負担に感じ不登校気味になっているとのこと
”それは申し訳ありません”
と、お詫びをし、相手の方の電話番号を聞いた時の担任のホッとしたようなリアクションがグサッときました
次男は、友達とのトラブルもそれまでほとんどなく、学校から電話がかかってくることもそれまでなく、私ににとっては、長男を含めてもほぼ初めての経験でした
担任の
”2学期頃からですかねえ・・
少し目に余る行動が時々あります”
と、言われハッとしました
2学期頃と言えば、家の中がザワザワし始めたころと重なります
母が胃がんの末期から亡くなり、間髪入れず、私が乳がんになりました
もう家のこと・子供たちのことに手が回っていませんでした
(というか・・気持ちが母のこと、自分のことで一杯で、子供達に向かっていませんでした)
あらかた成長していたこともあり、日常が回ればいいという感覚になっていました
少し前に主人から
”おじいちゃんからねえ 次男には言わないでねって言って教えてくれたんだけどねえ
おばあちゃんが昏睡状態になったときにね ○○神社(自宅近くの神社)で次男が一心に祈ってたのをたまたま見たんだって教えてくれたんだ
おばあちゃんっ子だったからねえ”
と、言っていました
私には思い当たる節がありました
母が昏睡状態になって数日がたった時のこと、次男が自信満々で
”お母さん おばあちゃん 目覚まさなかった??”
と、聞いてきたことがありました
私は”おばあちゃんはね、もう意識は戻らないの”
と、言いました
(私は内心、いきなり何言いだすのかしら?と思いました)
どういう風に感じたのだろう・・と、今になって思います
中学1年生で母親がガンになるっていうことをどう捉えていたのだろう・・・
学校での生活で注意を受けるようなことになるのも、母親がこんな状況では当たり前だと・・思いました
電話を切って、思ったことは
”寝たい”と、思いました
息子はリビングにいて、当然話をすべきと思いましたが、エネルギーがありませんでした
その日はそのまま家事もせず、夕食も作らず、主人に学校からの電話のことを話もせず寝ました
翌日は、放射線治療終了後の外来診察でした
主人が仕事を休んで付き添ってくれました
血液検査やレントゲンに異常はないとのことで、ホルモン治療を始める予定でしたが、私が体調を崩したことで、1ケ月延期して3月から始めることになりました
この日は先生が勘違いで、”非浸潤のガンなのでホルモン治療は必要ない”と、説明をうけ、その後勘違いだとわかり ホルモン治療の説明を受けるというハプニングがありました
帰宅途中、車で二人になったとき、
主人 ”ホルモン治療はぬか喜びで残念やったね・・でも経過観察で検査だけをしていくより、治療しながらのほうが安心じゃない??”
と、言ってくれて、私に寄り添おうとしてくれてるように感じて嬉しかったです
帰宅して、私は疲れてリビングの床に寝てしまいました
主人が、学校から帰ってきた次男と話をしてくれました
主人 ”傷つけるつもりはなくても・・相手は傷ついてしまうこともあるし・・・
相手の立場にたって・・”
みたいなことを話していました
それから、聞いていた連絡先に電話をかけ、主人と息子の二人で謝りにいきました
相手の子のお母さんは良い方で、受け入れていただいたようで安心しました
その間私は完全にTVの前の置物でした
<この放射線治療後半の時期を主人は黙って全力フォローしてくれましたが、後から
あの時は参った!! と、言われました>