おはようございます
手術から1ケ月がすぎた2018年12月中旬頃のこと
手術から約1ケ月が経過し、傷の状態は生々しさがなくなり、赤黒い状態から黒い一本の線のようになりました
少し腫れもあったのが、引いてきて、胸の形の変形具合もハッキリしてきました
触った感触は、とても固く、横長5センチ位の固いゴムが入っているような感触です
脇のセンチネルリンパ節生検をした部分は約1センチほどの傷で、その部分だけが固く盛り上がったような感じになっています
”これ・・・どのくらい戻るんやろか・・・ 柔らかくなるんやろか・・・
なんか、このままな感じがするなああ・・・”
と、不安が募ります
※約2年が経過した今現在は、ほとんど元通りといっていいほど柔らかくなっています
ただ、傷の長さ5センチのうち 1センチ分は、手術当初と変わらない固さのゴムがはいっているような感じです
2年が経過していますので、これ以上の変化はないのかなと感じています
センチネルリンパ節生検をした脇の部分は、胸よりも早い段階で、元通りの柔らかさになりました
また、傷跡もよくよくみないとわからない程度まで治癒しています
毎日のお風呂の時間が、苦痛といったら大げさかもしれませんが、嫌でした
”誰にも見られたくない、触られたくない”
という気持ちでした
でも、なんか”パパには見せなければ・・”と、思いました
全く見ずに、想像の世界ですごいことになってたりしたら・・・嫌だな・・・
それよりも、一度見せたほうがいいよな・・
という気持ちからでした
”見せて”と、言われてもいないのに、
”見る~~~??”
と、いいながら、服の上からのぞくような感じで見せました
たぶん、何が何だか、よく見えなかったのでは?と、思います
そして私は、
”傷が思ったよりも、生々しくて、大きくて~~ もうやだよ~~”
と、言いました
正直、不器用でもいいし、取ってつけたような感じでもいいから寄り添って欲しかった
主人の表情が変わりました
私の言いぐさにカチンときたようです
そして、今まで見たこともないような真顔になり
”誰に見せるわけでもないんだよ
命を助けてもらったんだよ
感謝しないと!!”
と、言いました
まるで私が先生に対して、不満でも言ったかのような感じで
”なぜ、わからないの? なぜ、感謝できないの??”
という感じでした
主人は、私が最悪のタイミングでガン告知を受け、その後ヒステリをおこしたりしていたことで、さらに医療者からも傷つけられはしないかと、恐れていたのかもしれません
”先生は言葉を選んで、話してくださっている
相手を思いやる気持ちで接してくださっている”
誠実な先生にみてもらっていることに安堵していました
そりゃああ 私だって、先生には感謝している
自分のことおばさんだと思っているし、誰にみせるわけでもないと思っている
でも、退院して、少し日が経ち、余計に思う
”誰にみせるわけでもないったって、私は毎日お風呂に入って、毎日、毎日私はみとんのじゃああああ
私の気持ちが大事ジャローーーーーー”
パパは、私が乳がんの治療をするにあたって、大事なことランキングがハッキリしている
ダントツ1位が”命が助かること”
2位、3位はなくて、4位に再発転移のことや、副作用のこと
体の傷のことや、治療にかかるお金など、失うものについては
”命にはかえられない”という考え
さらに、その大事なことランキングが日によって変動することはなく、固定である
まあ、よく言えば
”闘病に対して、ブレないスタンスをお持ちである”
とも、いえると思う
一方で私はといえば、大事なことがいくつか団子のようになっている
命が助かる事はもちろんだけど、外見上のこと、副作用や、再発転移への不安、精神面・・仕事と治療の両立・・などなど
それが、その日に受けた治療や、誰かから言われた一言、その日の体調によってグルグルと変化する
そして、心の中は激動のランキング1位で一杯になっている
私には気軽に相談できるような友達もいないんだけどなああ
ある日、突然に理不尽の世界へ放り込まれた住人に、正論を言われたって、悲しくなるだけなんだよ~~~
パパァァァ~~~~~
私の、ランキング1位を感じ取って~~~~