おはようございます
手術は2018年の11月中旬でした
それまでの間、自分なりには入院準備を頑張りました
まずは、年末も近かったこともあって、家の中の掃除です
退院後の体調にも不安があったので、やっておこう! と、思いました
けっこう思い切ってやりました
それには、理由があります。
母は、一年間の闘病生活の間、全く”終活”というか生前整理というか・・・何もしていませんでした
本当に、前だけ見てる人でした
でも、父は家計のこととか母に任せきりでしたから、突然、昏睡状態になり、困り果てたことがたくさんあります
正直、体調悪かったかもしれんけど・・
”ちょっとぐらい、
やってくれててもいいんじゃない?”
という、気持ちでした
”私はちゃんとやろう
自分では気づかないこともあるかもしれんし本買ってやるわ”
母は、普段から断捨離とは無縁の人で、モノをため込むタイプでした
母が意味不明に買い込んだものを処分したり、あれがない、これがないと探しまわったり・・・
なかなか、つらいものがありまのす
母が昏睡状態のとき、病院にいてもすることがないので、図書館の本を借りて読んでいた時のこと
母との意思疎通ができなくなったことで、バタバタし始めた頃のことです
宇野千代さんのエッセイを読んだのですが、その中で彼女は
”義母の葬儀のとき、義母は棺の上にかける布まですべての準備を整えていて呆れた
そんなものは、残された家族がするもの!”
と、バッサリ言い切っておられました
その時、私は
”イヤイヤ・・お母様は立派です!!”
と思いました
でも、自身もガンになり、片づけをしようと部屋を見渡した時、急に母の気持ちも少しわかるような気がしました
単なる片づけと、この世とお別れしなければいけない・・と思いながらする片づけとは別物なのだと思いました
自分がいなくなる・・・そのための整理
生きるために、過酷な治療をしながら、同時進行で生前整理もやるには、よほどの覚悟がないとできないのでは・・と思いました
母は、前だけをみて、生きるために治療をしていました
元気になって、料理がしたい、畑に○○の種付けをして収穫したい・・・まだまだやりたいことがあったようでした
そんな母に”終活”など、無理だったと納得できました
当時読んだ本の中で、一番自分の気持ちに近い感覚で闘病を綴っていた本が、エッセイスト岸本葉子さんが書かれた本です
40才で虫垂ガンを患い、病気発覚の経緯から、告知・入院・手術・退院から日常を取り戻し、社会復帰されていく様子が綴られています
エッセイストらしい繊細なタッチで描かれています
私が入院するまでの間で、一番の気がかりは何といっても、
”父へのカミングアウト”
です
彼女は、高齢のお父さんに心配をかけたくないと、あれこれ悩み、悩みぬいてカミングアウトをします
その時の様子や、カミングアウト後の安堵の様子など胸が詰まりました
また、できるだけ心配させないように、明るい色のパジャマを買い、白髪染めにいき・・・・
そんなところも、私と同じでした
私と境遇がほぼ同じで、なんか共感できました
私も、病院着だけは着たくなかったので、奮発して、パジャマを買いました
(まあ・・ 無駄だったんですけど・・・)
それから、何にも気にせず、温泉に入れるのも最後と思い、温泉好きでもないのに、仕事帰りに二日連続でスーパー銭湯のようなところへいきました
ギリギリになって”やっぱり入っておきたい” と、思いました
温泉で椅子に座り、鏡に映った自分をみて
”さようなら”と思いました
温泉につかり、檜ぶろに入り、ジャグジーで背中を押され、ポッカポカになって
”ああ~ 時間がかかってもいい! またここにきたいな”と、思いました
治療への意欲をわかせてくれたように思います
体が心地よく疲れてその日はグッスリと眠れました
入院までの日々は、体の中に、ガンがある状態を怖く感じ、早く手術を受けたいとも思いましたし、同時に自然な胸を失くすことでもあるので悲しくも感じていました
掃除や、入院に必要なものの買い物、留守の間の家の中が回るように、冷凍食品や保存のきくパウチのお惣菜を買い込んだり・・喪中ハガキの準備をしたりしていたら、アッという間に入院前日になっていました