おはようございます

 

総合病院初診翌日は週末でした

まだ忌引き中で、”母がくれた時間”のように感じました

 

母は、命を賭して”ガンにかかり、闘病し、死にゆく姿”を見せてくれたのだろうか・・・

大丈夫よ・・と言ってくれているような気もする・・

でも、私、死ぬのかな?という気にもなる・・・

生と死のスレスレのハザマに一か月ほどいたからでしょうか?

”死”というものがすぐそこにあるような感覚でした

 

 

私は、スーパーで午前中だけのパートをしています

職場環境もよく、パート仲間にも恵まれ、私の大切な財産です

 

この時は、仕事は辞めようと考えていました。

迷惑かけたくないし、力仕事でもあり、ガン治療をしながら、仕事を続けられるとは思えませんでした

 

病気の事、仕事の事を主人に話しました

もらったプリントを見せながら、先生から説明されたこと、これからの検査予定などを伝えました

動揺してるように見えました

 

仕事を辞めて、治療に専念したいということも伝えました

しこりの大きさが9ミリだったことから”大丈夫”と言っていました

 

 

夕方になり、主人がジムに行くといい外出しました。

主人は、運動不足解消に時間があれば毎週のように公共施設のジムに通っていました

 

私は”へえ 行くんだ・・”と思いました

まるで一人ボッチになるような気分で、心の中で”行かないで”と思ってしまいました

自分の心の中が、100%ガンの不安で埋め尽くされていることに気づきました

 

急に母のことが思い出されました

父は定年後、自治会の役員をしています

とてもやりがいを感じてもいて、生きがいというのか、ライフワークのようになっていました

 

母も元気な頃は、父の作業を手伝っていました。

二人で楽しみながらやっていた感じです

 

それが、体調が悪くなってくると、父が自治会のために時間を割くことを嫌うようになっていました

入院中は、さらにそれが母のストレスになっているようでした

 

私に対してはまた違って、母は私が病室に長居することを嫌いました

いつも、私の家族のことを気にかけていて

”もふもふ もう帰んなさい・・夕方よ” と言っていました

 

昏睡状態になる3日前のことでした

母が、帰ろうとする父に向って

自治会はもう辞めて!! 私がこんな状態になってもまだ辞めないの!!”

と、4人部屋で個室にいるような振る舞いをしたことを思い出しました

 

心の中が不安で埋め尽くされるとき、本当にわかってもらいたいと思う相手には、全てを捧げて欲しいと思うのでしょう

そうでないと、向き合ってくれていないように感じるのでしょう

 

母は、何か大きな不安を感じていたのだと思います

あの時の母の気持ちが、今になってわかる気がしました

 

でも、闘病生活を家族として向き合って思う・・

大切な家族がどんなに死と直面していても、家族はそれぞれに生きてゆかねばならないし、一人になった後も、生きていかねばならない

 

私は心の中で

お母さん お母さんはもうすぐいなくなるんだよ  お母さんいなくなったあと、お父さんは地域の役割もなくなったら・・生きがいもなくなるんだよ お父さんどうなるの?”

 

私は、父が必死に毎日つらい状況に耐え、時間をやりくりしているのを見ていました

家族がどんな態度をとっていても、つらくない家族などいない

家族もつらいし、それぞれの生活のやりくりも大変なんだ

 

求めすぎてはいけない

強くならなくては・・

 

と思っていました

 

 

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村