おはようございます
※今日はリアルな表現が含まれます ご注意お願いします
~続きです
昏睡状態に入った母でしたが、しばらくはまた意識が戻るのではと期待していました
姪っ子ちゃんが孫パワー全開で”おばあちゃ~ん~”と呼びかけますが起きません
昏睡状態は半月ほど続きました
昏睡状態になったことで個室へ移ることになりました
あまりに静かでした
それまで、母の少し壊れかけたメンタルに振り回され、おむつ替えをしながらも尿が出ているような頻尿の対応、他の患者さんたちのことなど 気が張っていました
もう・・何もすることはなく ただ母を見つめるのみでした
”人の不幸は蜜の味”と言いますが、この頃 芸能リポーター張りのしつこさで詮索するかたが何人かいらっしゃりエネルギーを無駄に消耗してしまいました
父は本当に参ってしまっていました
ただ、おかずを差し入れしてくれたりする方もいて 私も”父が温かいものに触れている”のをみて 自分もとっても温かくなり、その後数日分のエネルギーをもらいました
父はいつどうなるかわからない 死期が近いと感じ準備を始めていました
私と入れ替わりで、葬儀屋さんへ行き、打ち合わせというのか説明を聞いたり、転院予定の緩和ケア病院へ下見にいったり、支払いがすぐにできるようお金の準備をしたり、家の片づけをしたりしていました
葬儀屋さんでは 最後棺に入れる前に 髪や体をお風呂に入る感じできれいにしてもらう ”ゆかん”と呼ばれるものがあると説明してもらった
数万円かかるらしいけど、ずうっっと拭いてもらうだけでお風呂に入ってないから、やってあげようと思う と言っていました
緩和ケア病院では 最後を迎えるにあたって、何をどこまでするのかということを事前に相談するようでした
病院側から やらなければいけないこととして 点滴 があげられました
父の希望は、酸素マスク、痰の吸引だけだったと思います。
また急変した場合に、救急車を呼び、元の病院へ戻る方もいらっしゃるとのこと
救急車を呼びますか? と聞かれ
”呼びません ここで最後までお世話になります”
と答えたと言っていました
昏睡に入った数日後、緩和ケア病院の順番が回ってきたので、介護タクシーで転院しました
転院した病院では、高度な治療をしないからでしょうか スタッフの全員が患者の方向を見ていました
とても丁寧に体を拭いたり、髪を洗ってくれたりしてもらいました
何より、定期的に状態をみにきてくれる看護師さんのキャビネットにはパソコンがなく、紙に記録するようになっていました
心が和んでいきました
父も最後にここにきて良かった と言っていました
母は、胃がんの末期でしたが、吐くとか痛がるということがありませんでした
そして昏睡状態に入ったので、このまま眠るように逝くのでは・・と思っていました
転院から一週間ほどたったころ、意識はないまま何か表現できないような苦しみに襲われます
今にも死んでしまいそうな・・ときおり、目を見開き、苦しそうなうめき声をあげ、手をグーにして宙を突き、そしてまた静かに眠ります
二日間ほど続きました。その間、父・私・叔母・私の主人(仕事を休んでくれました)で付き添いました
昼も夜もないような感覚でした
病院に泊まり込んでくれていた 父と叔母から朝の4時位に電話があり すぐに向かうと血圧が下がっている・・とのことで着いてすぐに母は天国へ旅立ちました
悲しいというより、母を苦しみから解放してあげられたような気持ちでした
病院へ向かうときに見た、朝焼けがとてもきれいで忘れられません

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