不条理な事
ホームヘルパーの資格をとり介護の仕事をはじめて、早いもので6年が経ちました。
僕が働いている永住型グループホームには、生まれつきの全盲、脳性麻痺による知的障害、
重度身体障害、難病による中途障害の方達が5人いて共同生活をしています。
一般的に介護施設には親が高齢の為、身体的、精神的に
介護を継続するのが困難になったので施設にやむなく預ける等々、
本人の意思ではなく同居家族の様々な事情による亊が殆んどです。
よって入所まもなくすると、環境の変化や家族との別離を強いられたという思いもあるのか、
心を閉ざしてしまう人も少なくありません。
そんなグループホームに今、自殺願望を持った女性が1人います。
普通にOLや介護士として働き生活をしていた彼女は、ある日突然に、
脳変性疾患という難病である亊を宣告されました。
脳や身体の機能が徐々に失なわれていく病いです。
以前、思い出の写真を見せてくれましたが、
成人式や結婚式の写真は綺麗で素敵だったし、
修学旅行や同窓会の写真はどれも笑顔で溢れていました。
離婚をして、両親に先立たれ、姉妹はいるものの彼女が最終的に辿り着いたグループホームで、
僕を含む介護スタッフが行っている亊といえば、
忙殺されそうな勤務時間の僅かな合間を見つけては声をかける。
彼女の話しに耳を傾け、その日の様子を記録に残し、共有するという
介護の現場では当たり前の亊です。。
例外的に時間に余裕がある夜勤だったある日、
自分の部屋にこもりがちだった彼女が久しぶりに部屋から出てくるなり
「死にたい。もう、生きていく意味が、解んなく、なっちやった。
苦しいよ。樫原さん、私、どうしたらいい」
と 喉の筋肉も既に弱り、かすれ途切れてしまう声で彼女は言いました。
僕は「そうか、苦しいか」と言い彼女の背中をそっとさすりました。
それから暫くの沈黙の後、彼女は部屋に戻っていきました。。
あの時、どんな言葉をかけるべきだったのか?
まだ若い頃の僕ならば、安易に優しさと励ましの言葉を探し、
必死になって何かを話していたと思いますが、僕も少し歳をとり、
世の中や、自分や身近な人達の人生の上に無慈悲に起こる不条理な出来事を
あまりにも多く見過ぎてしまったからでしょう、
苦しみのただ中にいる人にかける言葉を失くしてしまいました。
日本には年間30000人以上の自殺者がいることは周知の事実です。
賛否両論あると思いますが、僕は命の終え方のひとつとして、自殺を否定しません。
自ら命を絶つことでしか救いを見い出せなかった。
そこには胸を締め付ける苦しみと理由が在り、痛ましい程に生きようとしたがどうする亊も出来ず、
ひとり闇の中で震えて、怯えて、力尽き、人生最後の選択が生きる亊ではなく死ぬことだった。
そのことを誰が責められるというのでしょうか。
そして、残された家族や友人の悲しみや後悔、自責の念の為にも、
自殺は尊厳死のひとつであると認める寛容さを人々や社会にもって欲しい
という思いがあるからです。
グループホームの話しへ戻りますが、
いつか彼女がそれでも生きるという亊を自ら選択し、昔の写真の様に笑顔を取り戻してくれた時、
もし求められたら、
「悲しいかな人は、苦しみの意味を知る為、
目の前に訪れる日々をただ生きていくしか無いのかもしれないね」
という言葉をかけようかと今は考えています。