北陸新幹線 敦賀駅から港が見えるとのニュースより
HIDEKYU Radioからの文字起こしでございます。
先日、といっても3,4日前になりますが北陸新幹線 敦賀駅のホームから港が見えるというのがニュースになっておりました。
「港を望む駅」がコンセプトということで敦賀駅の新幹線の高架線はかなり高く37mの高さになるとの発表でしたが、確かにサンダーバードなんかに乗っていましても見上げるように新幹線の高架線が頭上を越えていきます。
あれが開業すると、この列車は、敦賀止まりになるのか・・・と寂しい気分になりますが、まぁ、せっかくの新幹線、地元ではやはり待望の新幹線やと思いますので盛り上げていきたいと思います。
さて、この敦賀駅の新幹線ホームから港が見えるということですが
「敦賀」「港」と言えば、鉄道マニアにとってはロマンを感じる方が多いと思います。そう「敦賀港」なんですね。
かつて、ヨーロッパへの玄関口となった敦賀港ですが・・・なんて言ってますが、さすがに、そんな時代は生きてなかったのですが、その話を聞くだけでもロマンを感じることができます。
今回のHIDEKYU Radioは、鉄道黎明期の敦賀への鉄路と憧れの「欧亜国際連絡列車」の話をさせていただきます。
さて、鉄道が最初に開通した1872年の新橋~横浜間から10年後の1882年に、長浜~柳ケ瀬間および洞道口~金ヶ崎、後の敦賀港間が開業しています。これは、鉄道史の中ではかなり早いほうで東海道本線が全通したのが1889年ですので、その重要性を感じ取ることができます。
それで、まぁ、なんで長浜かと言いますと長浜と大津間は琵琶湖上の船で連絡することになっていたんですね。開通の約2ヶ月後に太湖汽船が鉄道連絡船を就航、翌年には、関ケ原駅から長浜駅まで鉄道が開通しました。
当時は、現在の東海道本線のルートは開通しておらず関ケ原~大垣間が開業したのは翌1884年のことになります。関ケ原駅から長浜駅まで、おおよそ現在の国道365号あたりを走っていたと思われ長浜駅には北側から入っていたと考えられます。途中、春照(すいじょう)駅という超難読駅名の駅が設けられました。僕は、15年ほど前になりますが、この旧線のルートを通って関ケ原から長浜へ車で走ったことあるのですが、結構、山越えの道で、1883年当時の機関車で、よく越えられていたなぁと感じたのを思い出しました。
長浜駅に着いた旅客は、あるものは太湖汽船の連絡船に乗り換え大津へ。あるものは北陸本線に乗り換え、敦賀を目指しました。
でも、すごいと思いませんか。日本に鉄道が走り始めて10年、当時、今のような情報網はなく、鉄道開通の前年、1871年に日刊の新聞が発行され始め、鉄道というものが走り出したという事実は
当時の日本人には知れ渡っていたかも知れませんが陸蒸気を見たことない人はかなりたくさん・・・といいますか、ほとんどの日本人は見たことなかったと思われます。そんな時代に、ここ近江の地では名古屋、東京、大阪へもつながっていない、鉄道が走り始め、この地にお住いの当時の方々は、さぞ驚かれたことでしょうね。そんなことを思いながら鉄道史に想いを馳せるのは楽しいですね。
さて、長浜駅から北へ向かう線路は今の北陸本線のルートではなく、旧線ルート、柳ケ瀬周りの線路で先ほど紹介しました1882年開通当時は柳ケ瀬トンネルが、まだ、完成しておらず、この区間は、徒歩連絡となっていました。1884年にトンネルが開通、長浜と敦賀が鉄路で結ばれました。東海道線の全通が、この5年後の1889年ですのでいかに敦賀が重要視されていたががわかります。
1895年に線路名称が付与されたときにはこの区間は東海道線の一部とされたらしく翌年の1896年に福井まで開業されます。
そして1899年に敦賀港が国際港として開港場に指定され、ついに華々しい国際列車の運転開始・・・と言いたいところなんですが、
この敦賀港、当時の金ヶ崎駅なんですが1897年に旅客営業を廃止し、貨物取扱所となっていました。1908年には駅に昇格、そして
1912年、明治45年に敦賀港とウラジオストクを結ぶ客船に金ヶ崎駅で連絡する「欧亜国際連絡列車」の運行が開始されました。
これにより、ウラジオストクからさらにシベリア鉄道を経由してヨーロッパへのルートが確立しました。
あまり自信がないのですが、この当時、金ヶ崎駅は通常、旅客営業はなされてなくて、この国際航路の船に連絡する列車が運転される時のみ、臨時で旅客営業をしていたようです。また、この列車も東海道線や北陸線では定期列車に連結されて運転されていたようです。
この航路は、その後、第一次世界大戦やロシア革命、シベリア出兵などの影響で休止され、国際列車も休止となりました。
1919年に駅名を敦賀港に改称。
1925年、大正14年にはソビエト連邦と国交が樹立、1927年には国際連絡運輸が再開され、国際列車も運転再開されます。
そして、第2次世界大戦が激しくなるにつれて、この国際列車も消えていきました。
2009年に敦賀港駅への貨物列車の設定が消滅。この年に旧敦賀港駅舎を使用した「敦賀鉄道資料館」が開館しております。また、駅は2019年に正式に廃駅となりました。
そんな歴史を眺める駅に北陸新幹線がやってきます。2023年度末の開業に向けて北陸新幹線プロジェクト進行中とのことです。
本日もご視聴いただきましてありがとうございました。
それでは、今日も素敵な1日をお過ごしください。
hide急行でした。