先日、10月14日の鉄道記念日にHIDEKYU Radioで鉄道の貨物輸送と荷物輸送について公開させていただきました。

 ということでHIDEKYU Radioより文字起こしです。

 

まずは貨物輸送から紹介しましょう。
日本で最初に貨物列車が運転されたのは1873年9月15日とされています。
鉄道開通から約1年後やったんですね。
ただ、この列車は、僕の私見ですが
貨物営業した列車、即ち運賃を徴収して貨物を運んだ最初ということと解釈しております。
当然、鉄道建設時には、今のように自動車で資材を運ぶというような発想は、
まず、ありませんので
建設資材を積載した工事列車は鉄道開通前から走っていたと推測されます。

日本の貨物輸送は、「ヤード輸送方式」と呼ばれる方式が主流でした。昔は日本各地の駅で貨物取扱があり、
貨物列車は各駅で貨車の解放連結を繰り返しながら走っていました。
貨物の流れを追いますと各駅で貨物を積み込んだ貨車が止まっていて、貨物列車がやってくると、この列車に貨車を連結します。
そして、各駅で解放連結を繰り返しながら、のんびりと走り操車場へ到着します。
この操車場で行先別の貨物列車に編成を組み換えします。
今、編成されている貨物の行先は、マチマチですので
これを他の貨物列車の貨物とともに、行先別の編成に組み替えるんです。
「突放」というやり方で、編成組み換えするのですが
この組み換えする作業が豪快で、まず、この操車場まで、牽引してきた機関車は切り離され、入換用の機関車が編成の最後部に連結されます。この時に貨車の連結器の解放テコは外されています。そして、この状態で編成最後尾からゆっくりとハンプ線と呼ばれる上り勾配を押し上げていきます。
そして、ハンプの頂上まで達した貨車は、連結器が解放された状態ですので重力の力で下り勾配を下り始めます。
この時、ポイントは貨車の連結する相手の貨車がいる線路に設定されていてその坂道を下ってきた貨車に連結手と言われた構内作業掛が貨車に飛び乗り足ブレーキを踏みながら貨車を減速させて相手の貨車に連結させるという神業のようなことが毎日毎回繰り返されていました。
そして、行先が同じ貨車で組成された貨物列車は、次の操車場もしくは解放連結を繰り返しながら貨車を目的の駅まで運びます。

鉄道マニアから見れば、各駅で貨車を解放連結して、優等列車にバンバン抜かれながらのんびり走る貨物列車に哀愁を感じるところです。

このヤード輸送方式ですが、時間と手間を度外視すれば、
もっとも消費エネルギーの少ない輸送方法やと思うのですが
何しか時間が掛かりすぎたんですね。また、解放連結などの手間が増大して、返ってコストがかかってしまうという悪循環な方式でした。また、触車や落車で命を落とされる連結手も多いということで国鉄は、なんとか改善すべく操車場の編成組み換えを自動で行うYTCS(Yard Automatic Control System)を開発し、1974年、武蔵野線に建設する武蔵野操車場に導入しました。
貨車の入換・組成はコンピューターにより自動処理されて入場してくる貨車を自動で認識してデータ化。無線操縦の入換機関車がハンプを押し上げ突放された貨車は速度検出器とカーリターダーと呼ばれる線路側で貨車の車輪を挟み込んで、貨車の連結相手までの距離を算出し最適な速度まで減速、貨車には連結手が乗ることなく無人で走り相手の貨車に連結するという今見ても、画期的なシステムでした。
これにより、操車場で組み替えに要していた無駄な時間が短縮し、また、組み替えに必要な要員も減らすことができたのですが
時すでに遅く、高度経済成長とともに進んだモータリゼーションにより鉄道貨物のシェアの落ち込みは激しく残念ながらも、ヤード輸送方式は1984年2月1日に全廃されました。
それ以降は、現在に続くはコンテナ貨車および石油・化成品・セメント類などの専用貨車を主体とした拠点間直行輸送のみとなります。
ヤード輸送方式が廃止になって35年、その間、1987年に国鉄の分割民営化によりJR貨物へ継承輸送システムは進化し、コンテナを本線上の列車から積卸しする着発線荷役「E&S方式」の採用やモーダルシフトにより鉄道貨物は見直されている傾向にあります。

次は荷物輸送のお話です。
私正直なところ、子供のころは、荷物輸送と貨物輸送は同じものと思っていまして、鉄道模型で荷物車マニ60とタンク車タキなどを連結して遊んでいた記憶があります。
どちらかというと旅客列車に連結されている荷物車を見て
あれも混合列車かなぁ・・・(混合列車は客車と貨車を連結して列車として運転するもので)そちらの部類なのかなぁ・・・なんて思っていましたが、大人になって、鉄道趣味の沼にどっぷりハマった頃に、これには大きな違いであると知りました。

ご存知の方も多いと思いますが荷物列車は旅客列車の分類に入るんですね。なので、基本的に荷物車と貨車が一緒に連結することは無かったんです。荷物輸送は、旅客の手荷物扱いがルーツとなっていますので旅客営業に分類されるのだそうです。
荷物輸送には手荷物、小荷物、郵便、新聞などが挙げられます。日本における荷物輸送は、1872年の鉄道開業時に、旅客営業とともに始められたと言われています。荷物輸送は、旅客列車や荷物専用列車で運転されとくに、客車時代の特急「つばめ」「はと」にも、荷物室の付いたスハニ35が連結されていたのが印象的です。
荷物輸送の需要が増えたのは1960年代からで、新聞や雑誌の発行部数増加によるものと言われています。1961年のダイヤ改正で荷物専用列車が大幅に増発され1968年ヨンサントオのダイヤ改正では急行荷物列車が登場、パレット輸送も始まりました。
順調に発展していた荷物輸送ですが、1970年代のオイルショックによる輸送需要の冷え込みとトラックによる宅配輸送が台頭して、シェアは大きく落ち込み1986年11月のダイヤ改正で荷物列車は廃止されました。
その後、新聞輸送は閑散時間帯の旅客列車で行われ、電車内の半分ぐらいをカーテンで仕切って新聞が積まれている列車に遭遇された方も多いのではないでしょうか。
また、先ほども出ましたモーダルシフトの考え方により、新たに荷物輸送の試みも始められ、最近では、新型コロナ感染拡大防止により輸送需要が減少した新幹線で、活魚の輸送を行ったなどのニュースも耳にします。

今日は149回目の鉄道記念日ということで
今後の鉄道の発展を心から信じ願って
HIDEKYU Radioのエンディングとさせていただきます。