昨日のブログで、今日は休みと宣言しましたが、朝に時間が空きましたので、ブログ書きます。真面目(笑)
今日は国鉄鍛冶屋線の西脇駅の話です。画像はこの1枚だけですが(笑)
現在、JR加古川線には西脇市駅があり、加古川線の列車本数はこの駅を境に変化する主要駅となっています。このような流れでいきますと上の画像の西脇駅から西脇市駅になったんでしょ・・・といきそうですが、実はそうではなく、駅名標右下の「のむら」駅が、今の西脇市駅になります。
国鉄時代、加古川線には3つの支線が接続していました。厄神駅で三木線、粟生駅で北条線、野村駅で鍛冶屋線。三木線、北条線は第3セクターとなり、北条鉄道は現在も、懸命に存続されています。
今回、主役の鍛冶屋線は、この西脇市の中心、「西脇駅」を持っていたからか、先に挙げた3線の中では輸送需要があり、国鉄分割民営化の時にJR西日本に継承されました。ずっと第3セクター化を模索していたみたいですが、北条鉄道、三木鉄道が経営難に直面していたため、兵庫県が支援に難色を示し、1990年、平成2年、4月1日に鍛冶屋線は廃止され、この西脇駅も廃止され、野村駅が西脇市駅に改称されました。先に第3セクター化されていたら、まだ、レールは存続していたかも知れませんね。輸送需要が他線に比べて、高かったことが廃止を招いてしまったとも言えるでしょうか。
とエラそうに書いてきましたが、長い間、この西脇駅が西脇市駅になって、野村駅が鍛冶屋線の駅と逆に認識していました。なので、一応、正直に書いておきます。
さて、この駅名標の画像は、1983年11月、当時、中学2年で、学校のサークル活動で鍛冶屋へ行ったときに撮影したものです。鍛冶屋線乗車が主な目的でしたが、当時の顧問の先生の女性の教え子が(私にとっては学校の先輩ですが)、鍛冶屋に在住しておられ、スナックを経営されておられ、顧問の先生が、その教え子に会いに行くのに、イイ出汁にされた感じでした。それでも、鍛冶屋駅につくと、その教え子である私たちの先輩は、精一杯のおもてなしをしてくださりましたが、当時、初めてスナック(と言っても、昼間の非営業時間ですよ)というところで、かつ先輩と顧問の先生は昔話で盛り上がりで、どうにも居心地が悪く、出来たら北条線や三木線にも乗りに行きたかったと思いながら、出していただいたチョコレートを食べていました。私の鍛冶屋線の思い出といえば、この時のことが思い出されますね。懐かしいです。
もう35年も昔の話、ろくに満足なお礼もせず、恩師についてノコノコやってきた失礼な鉄オタを、丁寧におもてなしくださり、本当にありがとうございました。
本日もご覧いただきありがとうございました。
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