大阪から福知山線・山陰本線経由で博多を結んでいた特急「まつかぜ」。1号と4号が博多までの運転で、食堂車も連結された80系気動車で運転されていました。この「まつかぜ」号ですが、1985年のダイヤ改正で、米子行となり、使用車両も181系に変更されてしまいました。
中学生の私にとって、国鉄特急の代名詞的な存在の80系気動車が山陰特急から引退するのは、かなりの衝撃でした。その後も特急「ひだ」「南紀」はワイドビューキハ85がデビューするまでは、80系気動車で運転されていましたが、それでも特急「まつかぜ」からの引退はショックでした。そんな中、国鉄は80系気動車の引退イベントを開催してくれました。
1985年3月17日 「80系特急気動車 お別れミステリー号」
編成の記録が残ってないのですが、たしか、「まつかぜ」博多編成のキロ、キシ含む6両編成やったと思います。列車は京都発着だけ発表されていて、運転経路は未発表のミステリー列車でした。当時はこのミステリー列車が流行っていました。
京都を出た列車は、記憶では一旦、山陰本線に入ってから貨物線経由で東海道本線に入ったように思うのですが、そうなると編成が逆転してしまうし、直接、東海道本線に入ったのか、不明ですが、その後、東海道本線経由で大阪、(ここも大阪駅を通った記憶が無い)、福知山線経由で福知山、山陰本線で京都へ帰ってくる行程でした。車内ではビンゴ大会や部品販売など、楽しいイベントでいっぱいでした。福知山線内では、川西池田駅と広野駅で撮影会が行われ、ヘッドマークを交換して、往年の特急列車を再現してくれました。この頃は、公認?で、線路へ入っていました。今では考えられないことですが、35年前には、イベントでは線路内へ入れていたんですね。しかし、通常の時は、この時代でもダメでしたよ。
この列車、京都駅到着後、向日町へ回送されたと思うんですが、その出発を名残り惜しく、いつまでも眺めていたら、運転士さんがこっそり手招きしていただき、なんと運転台に入れていただきました。写真も撮影させていただき、最高の思い出となりました。その時の写真をお見せいたしますが、絞りやシャッタースピードなどの知識が無かった私は、カメラのオートに任せて、フラッシュ撮影してしまい、あの、独特な雰囲気が台無しになってしまったのが残念でなりません。
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