【第1段】兼好法師


桜兼好さんは「健康」だったのか?

しつこく、徒然草の作者、吉田兼好さんについてです。
兼好さんは出家されたことから、兼好法師とも呼ばれ、現在の教科書では、兼好法師で統一されています。

私が徒然草を始めて読んだのは、中学3年生の時です。
なぜ、そんな事を覚えているのかと言いますと、私が通っていた私立高校には、何故か入試科目に古文があり、徒然草が出題範囲だったんです。

皆さんもきっとそうだと思いますが、始めて兼好法師と言う名前を聞いた時は、「きっと健康なお坊さんだったんだろうなぁー」と言う、ほとんど親父ギャグのような事を思い浮かべました。
実際、兼好さんは69歳まで生きられましたので、おそらく健康な方だったと思われます。兼好さんが、もし30歳位で無くなっておられたら、「マジっすか、ウィッシュビックリマーク」ですね。


桜兼好さんは「けんこう」ではなかったf^_^;

ただ、兼好さんは「けんこう」ではなかったようです。
兼好さんは生前(鎌倉時代)は、「卜部兼好(うらべかねよし)」と呼ばれており、「吉田兼好(よしだけんこう)呼ばれるようになったのは江戸時代だそうです。

ちなみに、卜部家嫡流は「吉田家」と「平野家」に分かれたそうです。
あなたが、「吉田さん」か「平野さん」でしたら、「私の先祖は兼好法師だ」と主張してみるのも面白いかも知れません。

ただ、その時は家系図が必須アイテムですから、そのての業者に作ってもらいましょう。
間違っても、費用をけちって、自分でコクヨのノート等に書いてはだめですよ。


桜そんなのありですかガーン

昔は、武士の間で家系図が売買されていたそうです。
お金が貯まると、家柄をよく見せるため、よい家柄の家系図を買い取って、その家系を名乗ったそうです。

まるで、木村さんが、「キムタクは、僕の遠い親戚らしいんだ」と言ってるのと同じレベルですね。
人間の考えることは、いつの時代も同じような事だという事なんでしょうねべーっだ!