(゚∇゚;)エッ!? 「645年・大化の改新」は間違いなんですか…(1)
~「乙巳の変」って知ってはりますか?~
「710年 なんと綺麗な平城京」,「794年 鳴くようぐいす平安京」,「1192年 いいくに作ろう鎌倉幕府」…
日本史が好きでなかった方でも,この語呂合わせによる年号の覚え方くらいは,記憶にあるのではないでしょうか
そうしたものの一つに,「645年 虫殺しの大化の改新」というのがあります。
この覚え方がいけなかったのか,645年に,「中大兄皇子」と「中臣鎌足(のちの藤原鎌足)」が「蘇我入鹿」を暗殺した事件のことを,「大化の改新」と誤解されている方が多いようです
今回は,「大化の改新」の舞台である飛鳥地方をうろうろした時のことを,いつものように私の妄想を交えつつ,2回に分けて書いてみたいと思います
■「大化の改新って何ですか?」(中大兄皇子談)o(@.@)o ナンジャコリャ!!
私にとっては,大化の改新が645年でなくても一向に困らないのですが,せっかく仕入れた知識ですので,皆さんにひけらかしたいだけです。
そもそも,「大化の改新」などの歴史用語は,後年に歴史学者が勝手につけたものですから,当の本人,今回ですと「中大兄皇子」には,自分たちがやったことが「大化の改新」と呼ばれているとは夢にも思っておられないはずです
多くの皆さんが「645年 虫殺しの大化改新」と覚えておられるものは,正確には645年に起こった「乙巳の変(いっしのへん)」です。今で言う,政治クーデターですね。
「虫殺し」の「虫」は,「蘇我氏」のことですが,「蘇我本宗家」は滅んだことになっていますので,御子孫はおられないとは思いますが,失礼な語呂ですね。と書くと,昆虫愛好家の方に怒られるんでしょう
■いわば「政権交代」みたいなものですねw( ̄△ ̄;)wおおっ!
当時,蘇我氏は,大王家(「天皇家」)をさしおいて,長年政権を掌握していたんですが,「中大兄皇子」らが,大王家へ権力を取り戻す方法を,「ああでもない,こうでもない」と考えていたようです。
で,思いついたのが,蘇我氏当主の「蘇我入鹿」を暗殺するという至って単純な作戦なのですが,それによりあっけなく蘇我体制が崩壊しちゃいました。この事件をこの年(645年)の干支にちなんで「乙巳の変」と言います
この「乙巳の変」の後に行われた,一連の「政治改革」が「大化の改新」で,数年にわたって行われましたから,特定の年に限定できないわけです。
「大化」というのは,何となくお分かりかと思いますが,いわゆる「元号」で,日本で始めて付けられたのがこの「元号」だそうです。それまでは,日本には「元号」が無かったんですね
■真実は闇の中です(´~`ヾ) ポリポリ・・・
ちなみに,このあたりのことは,「日本書紀」に「まるで見てきたように」書いてあります。
でも,「日本書紀」が完成したのは「乙巳の変」から約60年後ですし,「中大兄皇子」と「中臣鎌足」の子孫がその作成に関わっていたようですから,ご先祖,ひいてはその血を引いた自分達の都合の良いように書いたことは,想像に難くないですね
伝飛鳥板蓋宮跡
ここが,「乙巳の変」があったといわれている,「飛鳥板蓋宮」の旧跡です。
「伝」がついているのは,完全には確定していないからのようです。田圃の中にポツンとあり,遺構が残っているだけですので,表示がないと何なのかさっぱり分かりません。
ただ,約1350年前に,ここで「蘇我入鹿」の暗殺があったことに思いを馳せると,気分は飛鳥時代です。
案内表示です。
なお,この場所では何度か宮殿が建てられたそうで,
遺構が復元されています。
蘇我入鹿の首塚
「乙巳の変」で,斬首された「蘇我入鹿」の首が飛んで来て,ここに落下したそうです。
斬首された「飛鳥板蓋宮」からここまで,約600メートルあるそうです。マジですか…”o(-_-;*) ウゥム…
合掌<(_ _)>
飛鳥寺
もともとは,蘇我氏の氏寺で「法興寺」という名前だったそうです。蘇我氏の滅亡後,「飛鳥寺」という名前になり,現在に至っています。「飛鳥大仏」で有名です。
「乙巳の変」の時は,蘇我氏を迎え撃つための,「中大兄皇子」側の前線基地になったようです。
この建物の中に大仏が安置されています。
次回は,「クーデター(乙巳の変)の現場」から実況したいと思います。
(つづく)
クマっこクミ画伯 作 ■Dヾ(^∇^ )
(よーこ☆画伯 作)















