■大仏様はなぜ奈良に建っているのか■
今回は,特に不思議なことはありません。ただの,東大寺の大仏殿の観光案内です。
「じゃー,何で,奈良公園にあるちょっと不思議なもので紹介する訳? これって誇大表示じゃなの? ジャロ(公共広告機構)に言いつけるわよ! 」と,どこからともなく声が聞こえてくるような気がしますが,気のせいですよね
人間は広い心と,広い視野が必要です。大仏殿自体に不思議なところがあるわけではないのですが,もっと視野を広げて,そもそも大仏殿が奈良にあることが,ちょっと不思議というか,訳ありということなんです。
今回は,そういう視点からご案内したいと思います
少し長くなりそうですので,1回目は大仏様の波乱万丈なこれまでの生涯,2回目は写真を主体にした観光案内を書かせていただきます
◇大仏様は滋賀に建っていたかもしれません
大仏様を建てようという,恐らく当時ではとしても斬新なアイデアを実行したのは,聖武天皇で
す。そして,ここだけの話ですが,当初,大仏様は今の滋賀に建設される計画だったようです。別に,奈良と滋賀が誘致合戦をして奈良が勝ったわけではなく,ちょっとした理由で奈良に建ってしまったんです
奈良時代というと,ずーっと「平城京」(奈良)に都にあったとお思いの方もおられるかもしれませんが,聖武天皇が引っ越し好きだったのか,実際は短期間ですが何度か都を移しています。
「恭仁宮(くにのみや)」,「紫香楽宮(しがらきのみや)」,「難波宮(なにわのみや)」ですね
そして,大仏様を建てようとしたのが「紫香楽宮」(滋賀)に都があったときで,宮殿の近くの「甲賀寺」で大仏様の建設が始まったそうです。
ただ,それから宮殿の周りで不吉なことが起こったらしく計画は中止になり,そうこうしているうちに,また都が「平城京」に戻ってきて,その場所で今度は本当に建ててしまったというわけです
ですから,もしかしたら「奈良の大仏」は滋賀に建っていたかもしれないんですね。
もっとも,その場合は「滋賀の大仏」と呼んだと思いますが
◇大仏様はとても我慢強いです
前回,奈良のお土産で,「暴れん坊大仏」というお菓子を紹介しました。
包装紙に,普段は温厚な大仏様がキレて,鹿にまたがって暴走している漫画が書いてあるという,インパクトのある商品です
でも,大仏様が今日まで受けてきた様々な仕打ちを考えると,ああして静かに座っておられることが不思議に思えてきます。
私でしたら,絶対にキレてますよ
まず,お家である大仏殿は,源平合戦の際に重衡ちゃん(平重衡),戦国時代に久秀ちゃん(
松永久秀)によって焼かれています。
何か事情はあったとは思うのですが,重衡ちゃんと久秀ちゃんは大胆なことをしたものです
◇大仏様はターミネーターです
また,大仏様自身もそれに伴いかなりのダメージを受けたようで,何と,首が落っこちてしまったこともあるそうです。
その結果,今の大仏様のうち建設当時の部分が残っているのは,胴体と指の一部だけなんだそうで,壊されても壊されても蘇るというのはまるでターミネーターですね
これだけの仕打ちを受けたので,きっとはらわたが煮えくり返っているとは思うのですが,さすが仏教関係者で,そういうそぶりは一切見せず,日々,参拝される皆さんを静かに見守っておられます。
ですから,参拝される方も,「宝くじの1等が当たりますように」とか,「玉の輿に乗れますように」などという,無理なお願いをしちゃだめですよ
(つづく)



