先ほど読んでいた、新聞の夕刊に、
滝平 二郎氏の訃報が載っていた。
斎藤隆介氏と滝平 二郎氏の初絵本、「八郎」が
滝平 二郎氏を有名にした絵本だが、
私は、「花さき山」と「モチモチの木」が大好きだ。
これらの絵本は、私が小学校の頃に母が買ってくれた。
日本語の絵本は、小学校の時に買ってもらった絵本が
たくさん本棚に並んでいる。
すでにかなり黄ばんでいたり、角が折れていたりするが、
読むのには何の支障もない。
そんな絵本たちを息子と開くとき、絵本は財産だな、と本当に思う。
その当時、そんな絵本を惜しげもなく買ってくれた母に
感謝である。
今でも、ぼんやりとだが、思い出すのは、商売をしながら疲れていただろう
にも関わらず、私にせがまれるので、一緒に横になって
絵本を読んでくれた、母の記憶がある。
良い絵本は、どんなに時間がたっても本当にすばらしい。
私は斎藤隆介氏のお話の自己犠牲が自分が親になってから
とても切なくて、子どもの頃読んだ印象と随分かわってしまった。
「ベロ出しチョンマ」は、今でも読むと胸にささって、とても切ない。
滝平 二郎氏の絵ではないが、斎藤隆介氏の
「ひさの星」岩崎ちひろ氏(絵)は、もう読んでいるはしから
涙が出て読めない。
MR . IMPOSSIBLE は、「モチモチの木」が悲しくて好きじゃないという。
「あの、おじいちゃんのお話やろ?あれ、悲しいねんもん」と。
「モチモチの木」に出てくる、5歳の豆太には、もう両親がいない。
それだけでも悲しいのに、じさまの具合が悪くなるんだから、
悲しいこと、この上ない。
息子が大きくなって、もう一度この本を読むことがあったら
きっと、また違ってみえるだろうに。
・・・でも、きっと、彼が、もう一度、大人になってから読む、って
ことはないだろうな。と思ったりもする(苦笑)
滝平 二郎氏が亡くなられたことが残念でならないが
私の小学校からの大事な思い出のつまった絵本に
感謝しつつ、ご冥福をお祈りしたい。
滝平 二郎氏の訃報が載っていた。
斎藤隆介氏と滝平 二郎氏の初絵本、「八郎」が
滝平 二郎氏を有名にした絵本だが、
私は、「花さき山」と「モチモチの木」が大好きだ。
これらの絵本は、私が小学校の頃に母が買ってくれた。
日本語の絵本は、小学校の時に買ってもらった絵本が
たくさん本棚に並んでいる。
すでにかなり黄ばんでいたり、角が折れていたりするが、
読むのには何の支障もない。
そんな絵本たちを息子と開くとき、絵本は財産だな、と本当に思う。
その当時、そんな絵本を惜しげもなく買ってくれた母に
感謝である。
今でも、ぼんやりとだが、思い出すのは、商売をしながら疲れていただろう
にも関わらず、私にせがまれるので、一緒に横になって
絵本を読んでくれた、母の記憶がある。
良い絵本は、どんなに時間がたっても本当にすばらしい。
私は斎藤隆介氏のお話の自己犠牲が自分が親になってから
とても切なくて、子どもの頃読んだ印象と随分かわってしまった。
「ベロ出しチョンマ」は、今でも読むと胸にささって、とても切ない。
滝平 二郎氏の絵ではないが、斎藤隆介氏の
「ひさの星」岩崎ちひろ氏(絵)は、もう読んでいるはしから
涙が出て読めない。
MR . IMPOSSIBLE は、「モチモチの木」が悲しくて好きじゃないという。
「あの、おじいちゃんのお話やろ?あれ、悲しいねんもん」と。
「モチモチの木」に出てくる、5歳の豆太には、もう両親がいない。
それだけでも悲しいのに、じさまの具合が悪くなるんだから、
悲しいこと、この上ない。
息子が大きくなって、もう一度この本を読むことがあったら
きっと、また違ってみえるだろうに。
・・・でも、きっと、彼が、もう一度、大人になってから読む、って
ことはないだろうな。と思ったりもする(苦笑)
滝平 二郎氏が亡くなられたことが残念でならないが
私の小学校からの大事な思い出のつまった絵本に
感謝しつつ、ご冥福をお祈りしたい。