すっかり放置ブログとなっています。(ブログ?というのか?!)
どなたか読んで下さる方がいるかなぁ・・・と思いつつ。
毎日が勉強で成長だなぁ、と思いつつ、ブログに書こう!と思うのですが、
なかなか時間がとれず、結局日にちだけが過ぎていく、といった感じです。
今回は「本は心のご飯(その3)」
ご紹介したい本は山ほどあるのですが、こんな調子なので
おいつきません。ちょっとずつ、書いていきますので、
どうぞ なが~く、のんびりとおつきあいいただけるとうれしいです。
絵本との出会いって、偶然ではなく必然の運命だな~って
思うのです。
図書館や本屋さんで、絵本が私をよんでいる~~~(ちょっと変な人ですね)
たくさんある絵本の中で、何気なく手にとった絵本が、
実は、私を引き寄せて、手にとらせたんだ~と思うときがあります。
この絵本も 実は、その一冊。原書は英語ではありません。
この絵本を読んだ後、絵本から押し寄せてくるメッセージに
胸が押しつぶされそうになり、しばらく、呆然としてしまった絵本です。
ひとこと、本当に、すごい絵本です。
本当にすばらしい絵本って、読む年代によって、感じ方やとらえかたが変わる、
本当に人生において、すばらしい教科書だと思うのです。
この一冊も、そんな一冊。
おうじょさまとなかまたち―おうじょさまとゾウとウマとイヌとネコとハリネズミとトリとハチとイモムシのおはなし
残念ながら、表紙の絵の写真がありませんが、
この作者のアローナ・フランケル氏、日本では「うんちがぽとん」の絵本で有名です。
我が家も MR . IMPOSSIBLE がトイレのころ、とても活躍した絵本でした。
そのアローナ氏がかかれた、この絵本、去年翻訳されて発売された
新しい絵本です。
絵がとてもうつくしく、内容がとても深い。
また、訳者の もたいなつう氏のあとがきがあるのですが、
そこを読むとさらに、胸が押しつぶされそうになり、涙がこぼれそうになります。
絵本からは想像できない、このアローナ氏の人生経験からかかれている絵本なのですが、
圧巻です。
これを、MR . IMPOSSIBLE が、どう読むのか、と思い、
いつものように、さりげなく目のつくところにおいておきました。
我が家では、この絵本を読みなさい、と強制することはあまりありません。
読んでほしい絵本や、児童書はさりげなく目のつくところにおいておく。と
いった感じで、本人がぱらぱら、と見て、興味をしめさなければ、それで終わり。
というのもあります。
そういった時は、タイミングが悪かった、もしくは、適応年齢が過ぎていた(早すぎた)
と思い、また時期をみます。
今回、内容的にも、思うところがあるだろう、と思い、さりげなく置いていたら、
食いつきました。
その様子は、最初の1ページあたりは、「ふ~ん」ってな、なにげない様子でしたが、
2、3ページあたりから、ぐいっと絵本の世界に引き込まれる様子が
手にとるようにわかりました。
その後は、真剣に無言です。
読み終わって、絵本を閉じ、ちょっとの間、絵本の表紙を眺め、
その様子はまるで、絵本を自分の中で消化し、取り込む、
「絵本から押し寄せてくる余韻を味わう」という感じでした。
その後、私のところにやってきて
「この絵本、絵がすごい」と息子。
「うん、それ、絵がすごいよね。内容はどうだった?」と私。
「おうじょ様がすごい」と息子。
「うん、お母さんも、おうじょ様がすごいと思った。」と私。
それで、会話は終わりました。
この絵本から押し寄せてくる思いに、これ以上の説明や感想ができなかったからです。
あとは、この絵本を心のどこかにおきながら、
彼が人生経験の中で、学んでいってくれたらいいと思うのです。
でも、ここでこの絵本の話が終わるわけではありません。
私はこの絵本とともに、息子とこの先の色々なことがあったときに
場面場面できっと、会話の中で出てくると思います。
そこが、息子と読む、絵本のいいところだと思うのです。
話は逸れますが、私は短大で幼児教育学科で、モンテッソーリが専攻でした。
その当時のモンテッソーリの先生は日本のモンテッソーリの第一人者の先生で
今思えば、とても恵まれた学習環境でした。
また、それだけではなく、児童文学の教科もあり、そこでも児童文学専門の先生に
幼児期の絵本についての授業を受けることができたのは
その後の私にとって大きな財産となったと思います。
でも、その当時は、学科の単位をとるのが必死でしたので、
今思えば、とてももったいないことをしたと思うばかりです。
今、もう一度、先生方の授業を受けることができるなら、きっともっとたくさん理解することが
できるかもしれないだろうに・・・と懐かしく、惜しいことをしたと思います。
「ぼちぼちいこか」の翻訳も、私の短大の先生だったのです。後で知りました。びっくりです。
そう振り返ると、本当にすばらしい先生方に恵まれた短大だったと改めて思います。
その中の児童文学の授業はとても面白く、私の息子の絵本選びにとても影響しています。
この授業で習ったことは、絵本選びには、年齢において、
いくつかのポイントがあるということ。
そのポイントをおさえなければ、いつまでたっても、どれだけ読みきかせをしても
本が好きになる、本が人生の楽しみとなる、という風にはならないということ。
たとえば、小さい子ども、0~2才くらいまでは、
1.擬音語、擬声語、擬態語が 繰りかえされ、お話が展開しているもの。
2.絵の動きが、明確であること。
3.終わりは、ハッピーエンドであること。
というのが、絶対条件です。
そういう絵本を親子でたくさん読み、それとともに心が成長し、
それを繰り返していくことによって
本当の絵本の楽しさに引き込まれていきます。
その基礎が出来上がれば、もう、あとは、ほうっておいても、ひとりだちです。
それは、英語の本でも同じです。
読み聞かせをしても、CDでも、同じ時間を共有して同じ絵本の世界に入る。
英語でも日本語でも変わりはありません。
また、去年、ミクシィでお知り合いになった、ねこねこさんとお話をした内容で、
絵本の読み聞かせについて、という話題がありました。
すっかり、お返事が遅くなってしまったのですが、
読み聞かせの最中に、聞かれた質問に対して、どう答えるか?というものです。
我が家の場合は、小さい頃から、日本語の本は私が読み、英語はCDで、というのが
定着していましたが、これは、本当に息子が寝んねのころからだったので、
(うまくいえないのですが、お話はわからなくても途中で質問しない。
お話の世界にどっぷり入る。という感じです。
別の言い方をすれば、年齢に合わない絵本は読んでいない、という感じでしょうか)
お話の途中で、息子が話しをさえぎって、これは何?とかこれはどういう意味?と
聞くことがあまりありませんでした。でも、まったくなかったわけではありません。
やはり、「これなあに?」と質問攻めの時期もありましたので、
そういう時は、質問で返します。
「なんだろうねぇ~?MR . IMPOSSIBLE は、なんだと思う?」と言った調子です。
その時は、いったいどういうことに対して質問しているかを、よく観察します。
例えば、今、読んでいる絵本で、すでにわかっていることを、
お母さんと話したくて質問している、
そういう場合は、お母さんと話したい、甘えたい、かまってほしい、というところが
見えるので、だっこして、「じゃ、お母さんと一緒にさがしてみようか。」といって
質問してきた絵本を一緒にめくる。一緒に答えをさがします。
でも、そんなときも、直球で答えは教えません。
お母さんも、ぼけたフリをして、これじゃない?あれじゃない?う~ん、どれかなぁ~?
なんて調子でやっていくと、質問してきた息子のほうが、あっさり、これだよ。と
答えたりします。そんなときは、オーバーに、すっごいね~~~!と驚いたりします。
もうひとつは、本当にわからなくて、質問してきたり、
もっと知りたくて質問してきている場合です。
こんな場合も、私は絵本の中から答えを息子と一緒にさがすように
していました。のちのち、自分でわからないことが出てきたときに
さがすことが出来るようになるための下準備、といったところでしょうか。
答えが、読んでいた絵本の中になかった場合は、
他の絵本から探します。・・・ので、お母さんも、子どもと同じように、
もしくはそれ以上、本を読んでいないとできなかったりします。
子どもと一緒に、今まで読んだ本を思い返し、ここにのってるんじゃない?ってな
調子で、探します。そんなときも、直球とはいきません。
紆余曲折、自分でさがしあてるのが、基本です。
そうしていくうちに、子どもの中に、このことは、確か、あの本のこのへんに書いていた、
というのが、みえてきたりします。
そうなると、頭の柔らかい子どものほうが、たくさん覚えていたりするので、
しまいには、お母さん、一緒に読んだやん、と怒られます。とほほ。
あと、どうしても手が離せないときなどに、やってくるのが、子どもです。
よく台所で夕飯の準備をしているとき等に、質問攻めで、まとわりついたりしないですか?
そいういう時は、本当は手を止めて聞いてやるのが一番いいのですが、
いつもそういうわけにはいきません。ので、そんな時は、子どもに頼みます。
「お母さん、今、これをしないといけないので、ちょっと、待っていてくれる?
でも、お母さん、忘れちゃうと大変やから、MR . IMPOSSIBLE 、ちゃんと覚えておいて
あとで、もう一回、言ってね。頼んだよ。約束だからね。」と頼むと、
「ちゃんと、覚えておかなくちゃ!」と子どもの中で、しっかりと残ります。
そうすると、自分が何を知りたかったのかも覚えておけるし、
質問が、ちゃんとお約束になって、大げさにいうと、頼まれた責任感が
子どもの中にうまれます。
で、そういう約束をした場合は、親も責任をもって、接してやらなければなりません。
なんだか、文章でかくと、とてもたいそうな感じがしますが、そんなことはないですよ。
子どもと一緒に、子どもの質問を楽しめばいいと思うのです。
それって、毎日たくさんの時間を一緒にすごしているお母さんじゃないと
できない、すごい特権だと思うのです。
こんな幸せな時間って、本当に、小さいうちだけだな。って最近、よく思います。
大きくなるにつれて、子どもの世界が広がっていくので、
子離れもしなければいけないな、って思います。
なんだか、あまり絵本紹介とはいきませんでした。
ごめんなさい。
絵本は、その場だけの、絵本ではないと思います。
生活の中で、子どもが成長していく中で、よりそっているような気がします。
読んで、よし、一冊、読んだ。はい、次!って数を稼ぐものではなく、
その絵本が子どもの心にのこり、成長を助け、生活の中に、親子の愛情とともに、
心の中に残る一冊のほうが、その先の人生の糧になると思います。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
どなたか読んで下さる方がいるかなぁ・・・と思いつつ。
毎日が勉強で成長だなぁ、と思いつつ、ブログに書こう!と思うのですが、
なかなか時間がとれず、結局日にちだけが過ぎていく、といった感じです。
今回は「本は心のご飯(その3)」
ご紹介したい本は山ほどあるのですが、こんな調子なので
おいつきません。ちょっとずつ、書いていきますので、
どうぞ なが~く、のんびりとおつきあいいただけるとうれしいです。
絵本との出会いって、偶然ではなく必然の運命だな~って
思うのです。
図書館や本屋さんで、絵本が私をよんでいる~~~(ちょっと変な人ですね)
たくさんある絵本の中で、何気なく手にとった絵本が、
実は、私を引き寄せて、手にとらせたんだ~と思うときがあります。
この絵本も 実は、その一冊。原書は英語ではありません。
この絵本を読んだ後、絵本から押し寄せてくるメッセージに
胸が押しつぶされそうになり、しばらく、呆然としてしまった絵本です。
ひとこと、本当に、すごい絵本です。
本当にすばらしい絵本って、読む年代によって、感じ方やとらえかたが変わる、
本当に人生において、すばらしい教科書だと思うのです。
この一冊も、そんな一冊。
おうじょさまとなかまたち―おうじょさまとゾウとウマとイヌとネコとハリネズミとトリとハチとイモムシのおはなし
残念ながら、表紙の絵の写真がありませんが、
この作者のアローナ・フランケル氏、日本では「うんちがぽとん」の絵本で有名です。
我が家も MR . IMPOSSIBLE がトイレのころ、とても活躍した絵本でした。
そのアローナ氏がかかれた、この絵本、去年翻訳されて発売された
新しい絵本です。
絵がとてもうつくしく、内容がとても深い。
また、訳者の もたいなつう氏のあとがきがあるのですが、
そこを読むとさらに、胸が押しつぶされそうになり、涙がこぼれそうになります。
絵本からは想像できない、このアローナ氏の人生経験からかかれている絵本なのですが、
圧巻です。
これを、MR . IMPOSSIBLE が、どう読むのか、と思い、
いつものように、さりげなく目のつくところにおいておきました。
我が家では、この絵本を読みなさい、と強制することはあまりありません。
読んでほしい絵本や、児童書はさりげなく目のつくところにおいておく。と
いった感じで、本人がぱらぱら、と見て、興味をしめさなければ、それで終わり。
というのもあります。
そういった時は、タイミングが悪かった、もしくは、適応年齢が過ぎていた(早すぎた)
と思い、また時期をみます。
今回、内容的にも、思うところがあるだろう、と思い、さりげなく置いていたら、
食いつきました。
その様子は、最初の1ページあたりは、「ふ~ん」ってな、なにげない様子でしたが、
2、3ページあたりから、ぐいっと絵本の世界に引き込まれる様子が
手にとるようにわかりました。
その後は、真剣に無言です。
読み終わって、絵本を閉じ、ちょっとの間、絵本の表紙を眺め、
その様子はまるで、絵本を自分の中で消化し、取り込む、
「絵本から押し寄せてくる余韻を味わう」という感じでした。
その後、私のところにやってきて
「この絵本、絵がすごい」と息子。
「うん、それ、絵がすごいよね。内容はどうだった?」と私。
「おうじょ様がすごい」と息子。
「うん、お母さんも、おうじょ様がすごいと思った。」と私。
それで、会話は終わりました。
この絵本から押し寄せてくる思いに、これ以上の説明や感想ができなかったからです。
あとは、この絵本を心のどこかにおきながら、
彼が人生経験の中で、学んでいってくれたらいいと思うのです。
でも、ここでこの絵本の話が終わるわけではありません。
私はこの絵本とともに、息子とこの先の色々なことがあったときに
場面場面できっと、会話の中で出てくると思います。
そこが、息子と読む、絵本のいいところだと思うのです。
話は逸れますが、私は短大で幼児教育学科で、モンテッソーリが専攻でした。
その当時のモンテッソーリの先生は日本のモンテッソーリの第一人者の先生で
今思えば、とても恵まれた学習環境でした。
また、それだけではなく、児童文学の教科もあり、そこでも児童文学専門の先生に
幼児期の絵本についての授業を受けることができたのは
その後の私にとって大きな財産となったと思います。
でも、その当時は、学科の単位をとるのが必死でしたので、
今思えば、とてももったいないことをしたと思うばかりです。
今、もう一度、先生方の授業を受けることができるなら、きっともっとたくさん理解することが
できるかもしれないだろうに・・・と懐かしく、惜しいことをしたと思います。
「ぼちぼちいこか」の翻訳も、私の短大の先生だったのです。後で知りました。びっくりです。
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そう振り返ると、本当にすばらしい先生方に恵まれた短大だったと改めて思います。
その中の児童文学の授業はとても面白く、私の息子の絵本選びにとても影響しています。
この授業で習ったことは、絵本選びには、年齢において、
いくつかのポイントがあるということ。
そのポイントをおさえなければ、いつまでたっても、どれだけ読みきかせをしても
本が好きになる、本が人生の楽しみとなる、という風にはならないということ。
たとえば、小さい子ども、0~2才くらいまでは、
1.擬音語、擬声語、擬態語が 繰りかえされ、お話が展開しているもの。
2.絵の動きが、明確であること。
3.終わりは、ハッピーエンドであること。
というのが、絶対条件です。
そういう絵本を親子でたくさん読み、それとともに心が成長し、
それを繰り返していくことによって
本当の絵本の楽しさに引き込まれていきます。
その基礎が出来上がれば、もう、あとは、ほうっておいても、ひとりだちです。
それは、英語の本でも同じです。
読み聞かせをしても、CDでも、同じ時間を共有して同じ絵本の世界に入る。
英語でも日本語でも変わりはありません。
また、去年、ミクシィでお知り合いになった、ねこねこさんとお話をした内容で、
絵本の読み聞かせについて、という話題がありました。
すっかり、お返事が遅くなってしまったのですが、
読み聞かせの最中に、聞かれた質問に対して、どう答えるか?というものです。
我が家の場合は、小さい頃から、日本語の本は私が読み、英語はCDで、というのが
定着していましたが、これは、本当に息子が寝んねのころからだったので、
(うまくいえないのですが、お話はわからなくても途中で質問しない。
お話の世界にどっぷり入る。という感じです。
別の言い方をすれば、年齢に合わない絵本は読んでいない、という感じでしょうか)
お話の途中で、息子が話しをさえぎって、これは何?とかこれはどういう意味?と
聞くことがあまりありませんでした。でも、まったくなかったわけではありません。
やはり、「これなあに?」と質問攻めの時期もありましたので、
そういう時は、質問で返します。
「なんだろうねぇ~?MR . IMPOSSIBLE は、なんだと思う?」と言った調子です。
その時は、いったいどういうことに対して質問しているかを、よく観察します。
例えば、今、読んでいる絵本で、すでにわかっていることを、
お母さんと話したくて質問している、
そういう場合は、お母さんと話したい、甘えたい、かまってほしい、というところが
見えるので、だっこして、「じゃ、お母さんと一緒にさがしてみようか。」といって
質問してきた絵本を一緒にめくる。一緒に答えをさがします。
でも、そんなときも、直球で答えは教えません。
お母さんも、ぼけたフリをして、これじゃない?あれじゃない?う~ん、どれかなぁ~?
なんて調子でやっていくと、質問してきた息子のほうが、あっさり、これだよ。と
答えたりします。そんなときは、オーバーに、すっごいね~~~!と驚いたりします。
もうひとつは、本当にわからなくて、質問してきたり、
もっと知りたくて質問してきている場合です。
こんな場合も、私は絵本の中から答えを息子と一緒にさがすように
していました。のちのち、自分でわからないことが出てきたときに
さがすことが出来るようになるための下準備、といったところでしょうか。
答えが、読んでいた絵本の中になかった場合は、
他の絵本から探します。・・・ので、お母さんも、子どもと同じように、
もしくはそれ以上、本を読んでいないとできなかったりします。
子どもと一緒に、今まで読んだ本を思い返し、ここにのってるんじゃない?ってな
調子で、探します。そんなときも、直球とはいきません。
紆余曲折、自分でさがしあてるのが、基本です。
そうしていくうちに、子どもの中に、このことは、確か、あの本のこのへんに書いていた、
というのが、みえてきたりします。
そうなると、頭の柔らかい子どものほうが、たくさん覚えていたりするので、
しまいには、お母さん、一緒に読んだやん、と怒られます。とほほ。
あと、どうしても手が離せないときなどに、やってくるのが、子どもです。
よく台所で夕飯の準備をしているとき等に、質問攻めで、まとわりついたりしないですか?
そいういう時は、本当は手を止めて聞いてやるのが一番いいのですが、
いつもそういうわけにはいきません。ので、そんな時は、子どもに頼みます。
「お母さん、今、これをしないといけないので、ちょっと、待っていてくれる?
でも、お母さん、忘れちゃうと大変やから、MR . IMPOSSIBLE 、ちゃんと覚えておいて
あとで、もう一回、言ってね。頼んだよ。約束だからね。」と頼むと、
「ちゃんと、覚えておかなくちゃ!」と子どもの中で、しっかりと残ります。
そうすると、自分が何を知りたかったのかも覚えておけるし、
質問が、ちゃんとお約束になって、大げさにいうと、頼まれた責任感が
子どもの中にうまれます。
で、そういう約束をした場合は、親も責任をもって、接してやらなければなりません。
なんだか、文章でかくと、とてもたいそうな感じがしますが、そんなことはないですよ。
子どもと一緒に、子どもの質問を楽しめばいいと思うのです。
それって、毎日たくさんの時間を一緒にすごしているお母さんじゃないと
できない、すごい特権だと思うのです。
こんな幸せな時間って、本当に、小さいうちだけだな。って最近、よく思います。
大きくなるにつれて、子どもの世界が広がっていくので、
子離れもしなければいけないな、って思います。
なんだか、あまり絵本紹介とはいきませんでした。
ごめんなさい。
絵本は、その場だけの、絵本ではないと思います。
生活の中で、子どもが成長していく中で、よりそっているような気がします。
読んで、よし、一冊、読んだ。はい、次!って数を稼ぐものではなく、
その絵本が子どもの心にのこり、成長を助け、生活の中に、親子の愛情とともに、
心の中に残る一冊のほうが、その先の人生の糧になると思います。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
