
甲賀市水口城跡について補足します。
関ヶ原合戦後徳川氏の直轄領となり、
江戸幕府3代将軍家光により京都への上洛のための宿として
京都二条城を小型にした水口城を築かせたそうです。
しかし、上洛の折に家光が利用したのは1回のみだということです。
(もったいな~い

この時代にも権威の象徴としての箱物造りはあったのですね

関ヶ原合戦当時の水口で思い起こされるのは

長束正家(豊臣家五奉行の一人)
盛りだくさん研修、次の訪問先は
非業の死を遂げた、長束正家の菩提寺と姫塚

ここでご住職から伺った正家と栄子姫のお話はとても切なかったです。