人の運命って、と思うと
成功者である松下幸之助氏のコトバに

●松下幸之助の珠玉の言葉

松下幸之助は「人間90%は運命」と考えていた残り
10%の努力が運命を切り拓く

江口 克彦 
: 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、
台北駐日経済文化代表処顧問

あなたは運が強いですか?

江口氏より
昭和の大経営者である松下幸之助。
彼の言葉は
時代を超えた普遍性と説得力を持っている。
しかし今の20~40代の新世代リーダーにとって、
「経営の神様」は
遠い存在になっているのではないだろうか。
松下幸之助が、
23年にわたって側近として仕えた
江口克彦氏による口伝、リーダーシップの奥義とは

人は、
『ある存在の意志』によって、
必然的にこの世に生まれてきた
という考え方もあるけれど、
通常的に考えれば、
偶然生まれ、生き、偶然に死ぬ
ということだろう。
自分の意志で生まれてきた人はいないし、
自殺以外、
自分で死にたいという意志で死ぬわけではない。
いわば、
偶然と偶然の間で人は生き、
だからこそ、必然を求めようと努力する。
その努力こそが、
人生を充実したものにする
ということになるだろう。
人生の根底は、
偶然が川の水のように流れているように思う。

「運命」について語った深夜の電話

昭和54年(1979)8月、
松下幸之助から、
夜中の1時頃に電話がかかってきた。

「別に用事はないんやけど。
ちょっとイライラしてね。
それで、電話したんや。
まあ、疲れのほうは、大丈夫や。
心配せんでええで。
わしは、そう簡単に死にはせんよ。
わしは、身体が弱かったからな。
何度か、
もうダメやなと思うようなことに出合って
きたけどね、
その都度、不思議に生きぬいとるんや。

だいたいな、
戰(いくさ)しとってな、
矢玉が飛んでくる。
そのなかで矢玉に当たる大将もおれば、
同じようにしていながら、
矢玉に当たらん大将もいるんや。
わしは、矢玉に当たらんほうや。
そういう運命というか、運が強いわけやな」

松下が、
自分は運が強い
と思っていたことは確かだ。
人間は、運があるかどうかによって、
人生が決まってくる
と考えていた。
それが運命ということになるだろう。
しかし、
だからといって、運がすべてかというと、
ある重要な部分は、
人間の努力、熱意によって、
人生を変えることができる、
運とか運命を動かすことができる
という考えも強く持っていたように思う。

「これも、ふっといま思ったんやけどな。
今日までの自分を考えてみると、
やはり、90%が運命やな、運やな。」

人生のすべてが己の意のままではない

「日本人として生まれたのも、
この時代に生まれたのも、
わしの意志ではない。
たまたま、偶然に生まれてきた。
生まれた家も、環境も、いわば運命や。
わしが決めたものではないわな。

電気屋の仕事をやるにしても、
わしがもし大阪でない別のところにいたら
どうであったか。
電車を見ることもなかったから、
電気の仕事をやろうと、
ひらめくこともなかったやろうな。
たまたま
大阪の街におった。
特にとりたてて力のない平凡なわしが、
一応仕事だけでも成功したということを思えば、
なおさらのことやな。

そういうことを考えてみると、
人間は、
ほとんどが運命やと、つくづく感じるな。
もっとも、
わしのこういう考えに反対する人もおるやろうけど、

その人は、なかなか力強い人であると。

人間には運はない。運命なんかない。
すべてその人の力であると。
実力であり、努力が人生のすべてを
切り拓(ひら)く、
と考える人もおるやろう。
まあ、そこまででなくとも、
努力が大きいと。
そう考える人も多いやろうな。

けどな、そう考えるとすれば、
人間は、努力すれば必ず成功する
ということになる。
しかし、
実際には、決してそういうことではないわね。
人生、
すべて己の意のままに動かせるということはない。
それは、
ひとつの運命をそれぞれ担っておるからやな。

成功するためには、努力しなさいという。
そして、
一生懸命努力したと、
あの人と同じように努力したと。
けど、
あの人は成功したけど、
自分は失敗したと。
そういう場合もあるな。
それは努力が足らんかった
とは言い切れんことがある。

ひとつの運命として考えんといかんかもしれん。

しかし、それならば、努力せんでいいのか、
汗を流さんでいいのかということになるけどな。
また、これも間違いや。

『肝心なところ』は、結局人間に任されている

わしは
運命が100%とは言っておらん。
90%やと。
実は、残りの10%が
人間にとっては大切だ
ということや。
いわば、
自分に与えられた人生を、
自分なりに完成させるか、させないか
という、
大事な10%なんだということ。
ほとんどは運命によって定められているけれど、

『肝心なところ』は、
ひょっとしたら、
人間に任せられているのではないか。

たとえば、
船があって、
自分が大きい船か、それとも小さい船か、
それは
それぞれの人にとっての運命かもしれんが、
『肝心の「舵」のところ』は
人間に任せられておると。
無事その船が大海を渡り、
目指す港に着くことができるかどうか。
その10%が、『その「舵」の部分である』
ということやな。

鷹がスズメになろうとしても、
スズメが鷹になろうとしても、
それは運命であって、変えることはできんな。
けど、
鷹は鷹なりに、
スズメはスズメなりに
一生懸命生きる努力はせんといかん。
そこに、
それぞれが成功する道も開けてくるんやな。

だから、
運命が、運が90%だから、
努力せんでいいということにはならんね。
そして
努力したから必ず成功すると考えてもあかん。
しかし、
成功するには必ず努力が必要なんやと。

そういうことを、
きみ、理解しておれば、
自分に与えられた人生を謙虚に受け入れ、
かつ力強く歩いて行くことができるよ」。

松下の話は、真夜中、2時間ほど続いたと。



ほとんどは運命によって定められているけれど、
運命を理解し、努力すれば、
幸せになれるのか

運命を知ることから、まず始めていく
中々自分の運命を知るのは難しい、
今でも、彷徨い続けている