3月11日に発生した東日本大震災・・・
地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
そして、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
3月13日、音楽劇「王瀬の長者・特別編」は、
地震直後の様々なアクシデントを乗り越えて無事公演終了しました。
公演から既に2週間が経過しましたが、もう遠い過去の出来事のように感じてしまいます。
余韻にひたる間もなく、あわただしく日々は過ぎていきました。
本番二日前の3月11日。
その頃僕は、夜の稽古に参加するために、仕事を急ピッチで終わらせるために会社で作業中でした。
金曜の午後、もう気持ちは2日後の舞台の事がずっと気になっていました。
僕にとっては初の主演・タイトルロール、「王瀬の長者」役です。
しかも会場はりゅーとぴあの大舞台・・・
うまくこなせるだろうか・・
毎日がそんな緊張感の中で生活してきました。
そんな時に・・・突然オフィスが大きく揺れ始めたのです。
あまりにも大きな、長い揺れだったため、全員会社の外に避難しました。
とりあえず、会社に大きな被害はなく、その後の作業も通常通り行えましたが・・
心配なのは舞台のことです。りゅーとぴあでは既に公演に向けて朝から舞台装置の仕込み中のはず。
大丈夫!?・・・とmixiやツイッターをチェック、マイミクのつぶやきや新潟演劇祭のツイッターで劇場には大きな被害が無かった事を知り一安心。
でも、夜の稽古は中止になりました。
土曜日は朝から予定通り場当たり、通し稽古、ゲネプロを行うとの事。
夜、家に戻りテレビを見て、想像を絶する被害の映像に愕然・・・・
「王瀬の長者」の中には、漁師達の民家が大火事になる場面、
そしてラスト近くでは、新潟市の沼垂が大水に巻かれてしまう場面があります。
ニュースの映像がどうしても舞台とだぶってしまうのです。
それが辛くて・・涙が止まりませんでした。
そして「こんな時期に公演していいのか・・!?」という思いさえありました。
つい夜遅くまで報道番組に釘付けになってしまい、まずい、早く寝なくては・・と布団に入ってしばらくすると、マナーモードにしてあるはずの携帯から突然、不穏な着信音が・・
「緊急地震速報」のエリアメールでした。
その直後、家にも大きな揺れが・・・今度は長野県北部で大きな地震があったのです!これには驚きました。
その後も何度も届く地震速報に、その夜はほとんど眠れませんでした。
寝不足のまま、土曜日の朝、りゅーとぴあ劇場の楽屋に入りました。
未明の地震による被害は特になく、稽古は予定通り進行するとの事。
通された楽屋は、劇場でも特にメインの役者さんが使うVIPルームともいうべき部屋。
何と風呂とシャワーまで付いてます。(結局使いませんでしたが・・)
本来なら、絶対使えない様な楽屋に入れてワクワクすべき筈なのに・・
寝不足と、昨晩の映像があまりにもショッキングだったこともあり、気分が重たいのです。
楽屋に入ると、メインキャストとして共演するSさんは新聞を見ながら「なんでこんなことになってしまったんだろか・・・この芝居をやるのが辛い・・」と泣いていました。
同感です。稽古してても辛かったです。
実際に大勢の人が災害で苦しんでいるこんな時、災害の場面を演じなければいけないなんて・・・
出演者の中には、東北地方の友人知人の安否を心配し、稽古の合間に何度も携帯で連絡する人もいました。
そして、出演者のYさんが、地震の影響で、出張先の東京から新潟に帰って来れないとの事なのです。そのため、もしYさんが出演出来なくなった場合の演出の変更も考慮した上で、稽古は進められました。
でも、その間に運営側で、今回の上演についてぎりぎりまで話し合いが行われたそうです。
その結果、
りゅーとぴあの舞台設備には大きな被害が無かった事、
施設が震度7までに耐え得る耐震構造である事、
そして・・・「こんな時期だからこそ上演する意義のある芝居ではないのか!?」という関係者の強い思いから、
「王瀬の長者」上演決行ということになったのです。
そして・・Yさんも東京出張から無事帰還し、夕方のゲネプロに間に合いました。
ほんとに良かった!・・・
1日2公演。熱い舞台でした。
楽屋で涙を流しながらうなだれていたSさんは、舞台ではその思いをぶつけるかのような見事な熱演を見せていました。
僕も地震による寝不足と戦いながら、周りの皆さんの熱気に支えられ、何とか演じ切りました・・・!
終演後、劇場のロビーに出ると、通常の倍近い人数のりゅーとぴあスタッフが集まっていました。
いつ余震が起きるか分からない状況の中での公演のため、万が一のための体制をとってくれたのだと思います。
こんな中で公演が無事行えたのも、多くのスタッフのおかげだと改めて思います。
心から感謝しております。
そして・・会場に足を運んでくれた皆様!どうもありがとうございました。
最後にエンディング曲の歌詞を紹介します。
こんな時期だからこそ、舞台のラストを飾ったこの曲が今も心に響いてきます・・
弱さと弱さで繋がってゆこう 分かち合って生きるんだ
人は一人じゃ生きては行けない だから人には愛がある
弱さの中で強くなり 信じあうから生きられる
熱い涙を流すのさ 暖かな手を差し伸べて
誰もがみんな幸せに なれる世の中作ろう
心の絆信じて みんなの力で作ろう
みんなの力で作ろう!
今、新潟県には、東北から1万人近い被災者が避難して来ています。
被災地の一日も早い復興を!・・・どうか願っております。
地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
そして、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
3月13日、音楽劇「王瀬の長者・特別編」は、
地震直後の様々なアクシデントを乗り越えて無事公演終了しました。
公演から既に2週間が経過しましたが、もう遠い過去の出来事のように感じてしまいます。
余韻にひたる間もなく、あわただしく日々は過ぎていきました。
本番二日前の3月11日。
その頃僕は、夜の稽古に参加するために、仕事を急ピッチで終わらせるために会社で作業中でした。
金曜の午後、もう気持ちは2日後の舞台の事がずっと気になっていました。
僕にとっては初の主演・タイトルロール、「王瀬の長者」役です。
しかも会場はりゅーとぴあの大舞台・・・
うまくこなせるだろうか・・
毎日がそんな緊張感の中で生活してきました。
そんな時に・・・突然オフィスが大きく揺れ始めたのです。
あまりにも大きな、長い揺れだったため、全員会社の外に避難しました。
とりあえず、会社に大きな被害はなく、その後の作業も通常通り行えましたが・・
心配なのは舞台のことです。りゅーとぴあでは既に公演に向けて朝から舞台装置の仕込み中のはず。
大丈夫!?・・・とmixiやツイッターをチェック、マイミクのつぶやきや新潟演劇祭のツイッターで劇場には大きな被害が無かった事を知り一安心。
でも、夜の稽古は中止になりました。
土曜日は朝から予定通り場当たり、通し稽古、ゲネプロを行うとの事。
夜、家に戻りテレビを見て、想像を絶する被害の映像に愕然・・・・
「王瀬の長者」の中には、漁師達の民家が大火事になる場面、
そしてラスト近くでは、新潟市の沼垂が大水に巻かれてしまう場面があります。
ニュースの映像がどうしても舞台とだぶってしまうのです。
それが辛くて・・涙が止まりませんでした。
そして「こんな時期に公演していいのか・・!?」という思いさえありました。
つい夜遅くまで報道番組に釘付けになってしまい、まずい、早く寝なくては・・と布団に入ってしばらくすると、マナーモードにしてあるはずの携帯から突然、不穏な着信音が・・
「緊急地震速報」のエリアメールでした。
その直後、家にも大きな揺れが・・・今度は長野県北部で大きな地震があったのです!これには驚きました。
その後も何度も届く地震速報に、その夜はほとんど眠れませんでした。
寝不足のまま、土曜日の朝、りゅーとぴあ劇場の楽屋に入りました。
未明の地震による被害は特になく、稽古は予定通り進行するとの事。
通された楽屋は、劇場でも特にメインの役者さんが使うVIPルームともいうべき部屋。
何と風呂とシャワーまで付いてます。(結局使いませんでしたが・・)
本来なら、絶対使えない様な楽屋に入れてワクワクすべき筈なのに・・
寝不足と、昨晩の映像があまりにもショッキングだったこともあり、気分が重たいのです。
楽屋に入ると、メインキャストとして共演するSさんは新聞を見ながら「なんでこんなことになってしまったんだろか・・・この芝居をやるのが辛い・・」と泣いていました。
同感です。稽古してても辛かったです。
実際に大勢の人が災害で苦しんでいるこんな時、災害の場面を演じなければいけないなんて・・・
出演者の中には、東北地方の友人知人の安否を心配し、稽古の合間に何度も携帯で連絡する人もいました。
そして、出演者のYさんが、地震の影響で、出張先の東京から新潟に帰って来れないとの事なのです。そのため、もしYさんが出演出来なくなった場合の演出の変更も考慮した上で、稽古は進められました。
でも、その間に運営側で、今回の上演についてぎりぎりまで話し合いが行われたそうです。
その結果、
りゅーとぴあの舞台設備には大きな被害が無かった事、
施設が震度7までに耐え得る耐震構造である事、
そして・・・「こんな時期だからこそ上演する意義のある芝居ではないのか!?」という関係者の強い思いから、
「王瀬の長者」上演決行ということになったのです。
そして・・Yさんも東京出張から無事帰還し、夕方のゲネプロに間に合いました。
ほんとに良かった!・・・
1日2公演。熱い舞台でした。
楽屋で涙を流しながらうなだれていたSさんは、舞台ではその思いをぶつけるかのような見事な熱演を見せていました。
僕も地震による寝不足と戦いながら、周りの皆さんの熱気に支えられ、何とか演じ切りました・・・!
終演後、劇場のロビーに出ると、通常の倍近い人数のりゅーとぴあスタッフが集まっていました。
いつ余震が起きるか分からない状況の中での公演のため、万が一のための体制をとってくれたのだと思います。
こんな中で公演が無事行えたのも、多くのスタッフのおかげだと改めて思います。
心から感謝しております。
そして・・会場に足を運んでくれた皆様!どうもありがとうございました。
最後にエンディング曲の歌詞を紹介します。
こんな時期だからこそ、舞台のラストを飾ったこの曲が今も心に響いてきます・・
弱さと弱さで繋がってゆこう 分かち合って生きるんだ
人は一人じゃ生きては行けない だから人には愛がある
弱さの中で強くなり 信じあうから生きられる
熱い涙を流すのさ 暖かな手を差し伸べて
誰もがみんな幸せに なれる世の中作ろう
心の絆信じて みんなの力で作ろう
みんなの力で作ろう!
今、新潟県には、東北から1万人近い被災者が避難して来ています。
被災地の一日も早い復興を!・・・どうか願っております。