そこからはもう、1日が終わるのが早いようで、遅いようで
なんだかわからない日々を過ごしました。
犬がいるため、避難所の中にははいれませんでした。
寝るときも、言わば鉄の塊のような車内で
寒さに震えながら、身を寄せ合いながら寝起きしました。
だけど、荒んだ日々の中で、無邪気に走り回る姿や、無防備な寝顔を見ると心が癒されました。
私が守って欲しかった小さな小さな命は
こんなにも愛おしいものだったんだって、そう思えました。
そこから、月日は流れ
いつしかおばあちゃんと離れて暮らすようになっていました。
家庭の事情とはいえ、おばあちゃんと離れて暮らす事に対して
申し訳なさと、寂しさと、悲しさと、だけどどうにもできない自分の歯がゆさと
何とも言い難い感情が自分の中で整理をつけられません。
そんな中ここ最近の、震災の関係のテレビ番組を見てると、ドラマとか無理に方言を真似したかのような、ただ、だべ とか んだ とか、言えばいいみたいな、本当の宮城弁を馬鹿にしたかのような言い回し。何日も何日もお風呂入れずに、髪の毛は油まみれで固まり、肌は黒ずみ、清潔なんか冗談でも言えないような状態だってのに、ドラマの再現は全部清潔そのもの。
死体安置場だって、なんとも言えない雰囲気、まさに重いとしか言えず、この世に存在するのか、というような、物々しい雰囲気だったし、犠牲になった人は、頭を剃られてたし、布の衣装ケースみたいなのに入れられてたし。
再現、するんだったらもうちょっとちゃんと…してほしいのに。
震災番組で、1年だからって、冒頭から何も被害を受けていないような人が言う 皆さんこの1年をどう過ごされましたか?
そんな……軽く、言わないで
どう過ごされましたか?なんて、正気じゃ聞けないよ。
かなしいよ。
悲しいに決まってるじゃない。
やり切れないに決まってるじゃない。
当時の津波の様子を移した映像とかをまた1から10まで流すなんて、結構もううんざり
それでも、何故か見なきゃいけないんだって
見ては悲しくなって、つらくなって
現実と違う所を粗探ししちゃうんですよね。
バカでしょう…?
実際に流された私の家の跡地に再び戻れた時は、泣く、なんて事できなかった。もう、笑うしかなかった。
出来れば、みんなにも
笑うしかないねー、何とかなるよー
って、笑って欲しいのです。
そうじゃないと、虚無感を拭い去れないから。
だけど、頑張ってなんて言葉は、かけて欲しくありません。
頑張れって言葉は、重荷にしかならないから。
何もしてないんじゃないかって、思っちゃうから。
頑張ってるね、よく頑張ったね
って言われたら…嬉しいかな。
なんて、偉そうな事言える立場じゃないって事は、自分でもよく解ってるつもりです。
私は私なりに、前に進んでいると感じています。
被災した自宅から覗く新しく生えた草。
いつまでも3月11日のままの私では、ないのです。
それもこれも、全国から寄せられた暖かな気持ちが、私たちを奮い立たせるからです。
負けてられない。そう思えるのです。
しかし、復興バブルになりかけてるとはいえ、まだマイナスに居ます。
もう少しだけ、みなさんの力が、必要な所が多々あります。
厚かましい願いかもしれませんが
震災を、惨劇を、忘れないで下さい。
そこから立ち上がった人達を、忘れないで下さい。
私たちは、感謝の気持ちをいつまでも忘れません。
ありがとうございます。
長々と続いた記事ですが、一年という節目という事で、私の体験談と想いを書かせていただきました。
言葉足らずで拙い文章だった事をお詫びします。
だけど、私なりに震災をもっと知って欲しかったのです。
この日記で、誰かが何かを感じて貰えたら
私は幸せです。
