二次避難先は、その運送会社のトラックの荷台でした。
見た目じゃ解らないかもしれませんが、成人の男性が上り下りするという事を想定して作ってあるので、背の低い私には、上るのですら困難でした。
それでも何とか人の手を借りず、自力で上り
既に荷台にいた人たちと少しだけ話をしました。
そんな中、次々に津波にのまれ、不時着した人たちが荷台に運び込まれ
寒さでガタガタ震える人に、タオルを貸したり背中をさすったり
運送会社にあった着替えなどを貸し合いながら、形だけでも、なんとか寒さを凌いでいました。
そんな事も束の間
どこからともなく流れた情報は
第2波は20メートルを越す
というものでした。
避難したとはいえ、20メートルもの高波が来たのでは、ここは一溜まりもない、という結論に至り
しかも、第2波到着予想時刻まで、そう時間は残されておらず
急いで、作業用の脚立を縦に開ききった状態のものを崖にかけて
一人一人、となりの山に逃げました。
写真じゃやっぱり解りづらいですが、かなりの急斜面で、スニーカーを履いてる人ですら長時間いるのはキツいような状態でした。
徐々に辺りは暗くなり
ついには、夜になりました。
予想された第2波は来る気配が無かったけど
それでも、大津波警報はまだ解かれていなかったので、むやみやたらに下に降りる事は出来ませんでした。
でも、次々に津波にのまれながらも、命からがら逃げてきたご老人が引き上げられ
唇は真っ青、むしろ紫色で
海水で濡れ、砂まみれの身体で、寒そうにガタガタ震える姿には
本当に胸が痛みました。
当時私は、コートに緑色のカーディガン、ワイシャツに、下には薄い生地の長袖を着ていたので
次々に着ている物を貸して、私はワイシャツとスーツのスカート、だけの状態でしたが
震える背中をさすり、その人の名字や、もうすぐ降りれるから!などと声をかけ続けました。
さすっている最中、またしても奇跡が起こりました。
私のケータイが着信を知らせたのです。
相手はお母さん。
すぐに電話に出ました。
『妹から全部聞いた、今どこ』
『今、伊原津。無事に会えたみたいで良かった』
『とりあえずはね。みんな無事だから、安心して』
『お母さんの所に行けって言ったっきりだったから、不安だったんだ』
『大丈夫、うちらはコレから鷹来の森にいくから!迎えに行くから、それまで待ってるんだよ』
『わかった、ありがとう。待ってる』
運命とは悲惨なもので、そうこうしているうちにケータイの電池の残量がゼロになってしまい、会話が途切れてしまいました。
電話が終わった後、みんな私の方を見て
『あんたのケータイ貸して』
『どこの会社?』
『なんで繋がるの?』
などと言われましたが、私にもなぜ電話が繋がったのか解らない事を告げ、もしかしたら電話をかけ続けたら繋がるかもしれませんよ
そう言ったらみんな静かになり、黙々と電話をかけ続けていました。
それでもまだ、危険な状態は続きました。
でも、寒さに震える人達の状態はいよいよ限界に達しようとしていました。
そんな時、
もう津波が来ても良いから、温まりたい
という声が次々に聞こえ
ついにはやっと、下に降りる事になりました。
下に降りる時、もうみんな体力的にも限界が来ていたようで、登った時のように脚立では降りる事が困難になっていました。
なので、運送会社から、荷台が動く機械を出してもらい、具合が悪い人、子供、老人といった順に何人かづつ下に降り始めました。
燃やせる物は全部燃やして、みんなで代わる代わる暖をとりました。
着ていた衣類からは、水蒸気が出ていました。
もう何時になったのかすら、解る人は居ませんでした。
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