3月11日
あの日、私たちは
必死に“生きる事”に
夢中で、ただ目の前の道をひた走りました。
2時46分
当時私はお昼休憩から戻り、仕事を再開させていました
ちょうど、前日か前々日かにも大きな地震があったばかりで
今度地震がきたら、蛍光灯の下に居るのは止めた方が良いですね
…なんて、事を言っている最中でした。
突如揺れ出した辺り
次第に今まで体験したことの無いようなレベルまでに揺れが激しくなり、上下左右に揺れる地面に足を取られ、身動きが出来なくなり
上司である男性に、抱きかかえられるようにして建物から脱出しました。
あちこちでガラスが割れる音と物凄い地響きの音が既にしていました。
不安になった人たちが、道に出て、辺りを見ていました。
隆起や陥没をし始めた事を見ていち早く状況を察知した人は、荷物をまとめて、車で移動をし始めていました。
私は、寒さと不安でガタガタ震える手で、必死に電話をかけ続けました
妹でも良い、お母さんでも良い
お願いだから、繋がって…!
何度も何度もかけ直しました。
呼び出し音すら鳴らず、機械的なアナウンスが、ケータイから聞こえてくるだけでした。
今思えば怖かったんでしょうね。
それでも諦めきれず、ギュッとケータイを握りしめていたら
奇跡的に、妹から電話がかかってきたのです。
あんなに早く電話に出た事なんか無いっていう位に素早く通話ボタンを押し、耳にあてる。
すると
『あーっ…良かった、やっと繋がったよ』
電話越しに聞こえてきたのは、普段は泣かない妹の、涙声でした。
電話が繋がった事に私は安心して、無意識的に妹を泣き止ませようとしました。
非凡な状況だって、解ってるくせに
馬鹿みたいに普通を装って。
『なに泣いてんの、大丈夫だから』
『泣くような状況だ、ばか』
『うん、おばあちゃんと漣(犬)は?』
『…いるよ』
『なら、お母さんの所に行きなさい、お母さんと一緒なら、必ず助かるから』
『わかった、あんたもちゃんと帰ってきてよね』
『当たり前でしょ?…んじゃ、今から帰るから』
そう言って、電話を切りました。
そして、会社に置いてあったブランケットを持ち、社長に帰る事を告げ、車で家に向かいました。
…でも
遅かった。
信号機は停電の為、既に使い物にならなくなっていて、道は大混雑
全く進まない状況の中、車でケータイの充電をしつつ母親に電話をかけました。
そしてそれから何分か、何十分か、いつの間にか近くの交差点まで車は進んでいました。
しかし
その交差点にさしかかった所で、歩道橋にいた男性が大きな声で
『津波がきたぞーー!』
一気に不安に煽られ、車から道路を覗き込むと既に徐々に水が浸水してきていました。
(…やばい)
胸の当たりがギュッと締め付けられ、熱くなり
このままじゃ本当に死ぬ
そう、直感しました。
そこで私は腹をくくり、事故を覚悟でクラクションを激しくならし、それでも進まない事を確認すると
反対車線に飛び出し、少しだけ高いところに車を停め
エンジンを切り、ブランケットやバックなどを持ち、鍵までかけて走りました。
生きる為に、走って、走って、何とか人が居るところまでたどり着きました。
そこで1歳になるかならないか位の子供を抱えた夫婦に出会い
その子供に、私は車から持ち出したブランケットをあげました。
偽善的かもしれませんが、目の前のこの子の力になりたい、と
本能的にそう思っていました。
しかし、私が駐車した所はガスの会社で
少しずつガスが漏れたような臭いが充満し
さすがに危険と判断した人たちから、隣にある運送会社のトラック置き場まで移動しました。
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