前回のブログから、およそ2か月半が空いてしまいました。

何にもない平凡な日を過ごしていたから、特に書かなかったわけではなく。

忙しくて書く暇がなかったわけでもなく。

体調を崩したとか、転勤してネット環境が整わなかったとかでもなく。

単純に、書けなかっただけでした。

 

 

パソコンが破損したのでした。

年に1回しか日本に帰らない身としては、日本語入力できるパソコンを購入するのは至難の業。

今回はたまたま先日赴任となった同期に持ってきてもらった次第です。

持つべきものは、頼れる同期。本当に感謝。

 

さて、今回の悲劇をこの世から撲滅するために、恥を忍んで今回の経緯と対策を載せてしまいたいと思います。

なにせ、パソコン代 約10万が一瞬にして消え、同時に家族に数か月もの不便をかけるという、我が家のここ数年でのワースト事件だったのですから。

 

 

題名からご明察されるとは思いますが、今回の悲劇は水風船によるものです。

夏。子供。特に子供が友達と遊ぶ。

上記の必要条件を満たすと、家の中に水風船が侵略することがありますよね。

私の場合、机に無造作に置かれていました。

 

夏の初めの土曜日の朝。暑さで気怠い起床。家族は朝からちょっとお出かけをして家には私一人。

となれば。

やることは、冷たくて気持ちいい水風船をもてあそびながらネットサーフィン となりますよね。

 

ぷにぷにモニュモニュしてたら、ブッチーン!と割れたわけです。

ノートPCの弱点であるキーボードの上に。

画面は真っ黒。私は思考停止。再起動ボタンを2-3度押して反応がないのを確認し、電源を引っこ抜きました。

そして、携帯でyahoo質問箱へGO.

再起動ボタンを押してはいけない旨と、1週間程度ほったらかしにして乾燥する旨を発見。

すでに再起動ボタンを連打したことを悔いながら、1週間後に改めて死刑宣告を拝受したわけです。

 

Yahoo質問箱によると、水/コ-ヒ-などでのパソコンの水濡れは決して珍しいことではなく、回復率もそれなりに高いようです。

が、なぜ私の場合は駄目だったのか?

私の疑いの目は当然、水風船に向かったわけです。

 

お気づきでしょうか?

通常、水やコーヒーはコップに入っています。

コップからパソコンへの水分経路は通常2つ。

一つは机にコップが倒れた場合。

この場合は、パソコンの底面のみが濡れる程度で、内部まで浸潤することはほとんどありません。

もう一つは、手元がくるってコップから液体が飛び散った場合。

この場合は、コップに水平方向の力がかかっているはずなので、液体が比較的広く薄く飛び散るので、表面をふき取ることで難を逃れることが多いはずです。

 

しかし、水風船だとどうなるか?

水およそ100ccがキーボードに直撃するわけです。

頑張って内部を見てみると、ばっちり繊細そうな半導体/回路が浸水していました。

というわけで、水風船が割れてしまうと確実な被害が発生します。

 

さて、水風船はなぜ割れたのでしょうか?

水風船は通常の風船と異なり口で膨らませないため、少し厚めに作られていて割れにくいとか。

ところがです。

ヒントは名探偵コナンの86巻にありました。

「風船は果物の成分で溶けちゃう」

そういえば、オレンジか何かを食べていたような。。

 

 

長くなりました。

とにもかくにも、家の中に水風船は入れないようにすることを強く推奨いたします。

 

 

私はたぶん、軽度の活字中毒です。

格好つけずにいうと、本がかなり好きだ ということですが。

 

海外勤務ということで、日本の書籍が書店で手に入らない環境下、電子書籍にはかなり助けられています。

今の方がむしろ、10年前の日本でほしい本が見つからずに本屋をハシゴしていた時より便利になっているのかもしれません。

 

と、言いながら。

逆説的ですが、本屋さんが好きでした。

ドアを開けると、シーンと静まり返った店内。

誰もが誰とも目を合わさず、本と向かい合っている風景。

小遣いの残高を確認しながら、一冊の重みを感じながら、表紙の恥ずかしさをこらえながら、レジに並ぶ あの緊張感。

書店員さんのエプロン姿もなんとなく清潔感があって、好きでした。

本を買ってから、自分の部屋に着くまで、本を開けずに我慢しているときの高揚感が好きでした。

そして、読み終わった本を本棚に並べていくのも好きでした。

 

何が気になるかというと。

本の本質的な価値は中身、コンテンツなわけですが。

一方で、それを具現化させる手段(紙/印刷/装丁)やそれら手段が副次的に演出する感情の動き…これらに価値がないなんて絶対に言えない気がする ということです。

 

例えば、お酒。

お酒の本質的価値はアルコールでしょう。

でも、純粋アルコールだったら、こんなに数々のお酒にまつわる物語は生まれていない と思うわけです。

それに、お酒を入れる器やお酒を飲む場所の違いで、お酒の味が変わったりもしますよね

 

タバコだってそう。

タバコの本質的価値はニコチンでしょう。

でも、ニコチンガムや電子タバコでは生まれない、何かの価値があるように感じているわけです。

 

 

実は上記のようなことは数年来ずっと頭の片隅で考えてきたことなのですが、特に電子書籍のヘビーユーザーになって気付いたことがあります。

それは、紙の本のほうが、電子書籍に比べて、中身/タイトル/作者名を忘却しにくかった ということです。

無理やり理屈をつけるならば、紙の本が持つ「匂い/触感/温度/色艶/付随する体験」などが本自体の記憶を強化していたのではないかと思うのです。

 

ちょっと何言っているかわかりづらいですよね。

分野が違う話を無理やり繋いでいるのですが…受験などのノウハウ本で記憶を強化するためには五感をフル活用すべき と書かれているのを目にしたことはありませんか?

もっと実際的な話をすると、教科書を黙読して暗記できなかったときは、色を塗ったり、ノートに書き写したり、音読したりしませんでしたか?

あれと同じことです。

 

一つの内容に対して、様々な種類の刺激を与えると、記憶が強化されるのです。

その「様々な種類の刺激」が電子書籍ではなくなっていると感じるのです。

 

 

子どもの頃に読んだSFに描かれていた、バーチャルリアリティが過度に進み、実態社会が薄っぺらになった世界。

もしも世界が(程度の差はあれ)その方向に進んでいるのだとしたら、薄っぺらになることを恐れて逃げるのではなく、薄っぺらになるのをただ批判するだけで現状維持に努めるのでもなく、薄っぺらになることをただ甘んじて受け入れるのでもなく、失ったものを補って余りある新しいものを得るために行動したいと思います。

 

例えば、電子書籍の中でも記憶に残ったり、友人に勧める確率が高いのは、「なんとなくAmazonが薦めてきた1冊」よりも、「自分が気に入っているブログや友人から勧められた1冊」だったりします。
紙の本の時代にやられてこなかった何かが、コンテンツの魅力を強化できる気がするのです。

 

 

強烈に記憶に残って、リピート/口コミしてもらえるような商品を開発していくために、何をしたらいいのか。

どんな部品をどのように組み上げて、本質的な価値を強化/増幅するべきか。

これからは、本質的な価値そのものだけでなく、こんなことを考えながらプロデュースすることにも注目が集まる気がします。

 

 

「個人知」とか、「知識の属人化」とか、聞いたことありますか?

特定の知識が個人に偏っている状況を指していて、ネガティブな意味で使われます。

人材の流動性が担保できなくなったり、「個人知」を持った人がいなくなった時のリスクが高い ということが理由のようです。

 

さて。

じゃあ、どういう風に組織知を作るのか?ということなのですが…

 

私の旧所属組織は、定期ミーティングを利用していました。

ここでは、毎月各自の課題進捗を報告し、必要に応じて所属メンバーが質疑応答をしたり上司が軌道修正をしていました。

これの欠点は… 知識の一般化/系統化が難しいことだと思います。

月例の報告内容は「今月起こったこと」にフォーカスしているので、課題の全体像(今まで何をやってきて、何を目指しているのか?)が見えにくいですし、関連/類似した課題との比較もできません。

また、「今実施している課題」に特化しているので、将来の課題につながる情報を蓄積することもできません。

 

今の組織は、定期ミーティングがほぼなく、社内SNSを中心に使っています。というか、何もしていません。

属人化が進み過ぎていますが、こちらの組織は、人事異動がほとんどないので、現在の担当者が定年になるまでは問題が顕在化しないはずです。

忌々しき問題なんですが。

 

翻って、今まで経験した中でもっとも機能しているように感じたのが、大学の研究室時代です。

四半期ごとの課題経過報告に加えて、毎週の論文セミナーと毎月のレビューセミナーを行っていました。

論文セミナーは有名な論文や最新の論文を読み、レビューセミナーはレビュー論文を読む ということでした。

課題経過報告の欠点は、「レビューセミナー」が補います。

レビュー論文では、その道の第一線の研究者が、特定のトピックに関して、主な論文を時系列に並べて比較していますので、知識の一般化や系統化が行われます。Webでいう「まとめサイト」みたいなものですよね。

また、将来の課題という点については、部分的に「論文セミナー」が補えます。

 

いつも時間に追われて「目先のこと」ばかり追っていると、組織知は作れない ということなのでしょう。

特に、組織の人材流動性が低い場合、個人の中で知識が蓄積していても、それが系統化されないまま膨大な資料が放置されることも多いような気がしています。

仕組みとして、レビュー/再整理 および新情報インプットを定期的に行うことが、組織知の蓄積に役に立つかもしれないと思っています。 
現在受けているコーチング研修の講師の方に面白いね と言われたので、調子に乗って書いてみます。

技術系=口下手 と言われることが多かったのですが、今日ではPower pointを使ったプレゼンが日常的に求められます。

若手と呼ばれるうちは、プレゼン後に上司がフィードバックをくれたり、同僚と飲みに行ってプレゼン論を語ったりすることで、スキル向上の努力をしたでしょうか。

そんなある種の「反省会」の中でよく引き合いに出されるのが「お手本」ですよね。
落語家の話がうまいとか、アメリカ大統領の演説がすごいとか いろいろ言われます。
中でも、ビジネスに関連するプレゼンの中でも観衆を引き付けているのがTEDではないでしょうか。
TEDのプレゼンターは、一般の社内プレゼンターとは全然違いますよね。
アメリカ人だから?テキスト中心のスライドをあまり使わないから?

落語家の真似も、大統領の真似も、TEDの真似も、社内プレゼンではあまり見かけないし、うまく馴染まないのは何か理由があるのかなぁ と考えてみました。


聴衆別プレゼンテーション


上記のマトリックスで考えると、通常の「社内プレゼン」は左下に位置しています。
聴衆たる上司に対して、TEDや落語のような「サプライズ」や「エモーショナルな表現」を入れながら30-60分話したらどうなるでしょうか・・・
「長い」「で、何してほしい/何したいの?」 と言われるでしょう。
上司は、時間がないし、部下である我々自身のパーソナリティよりも我々が行う業務に興味があるのです。

「プレゼン」という大きな枠の中で考えると、世の中には様々な成功例があります。
まずは気に入ったものを真似してみて場数を踏み、うまくいかなかったら、上のマトリックスが参考になれば幸いです。
文字ばかりのプレゼンは味気ないと思ったこと、ありませんか?
それで、写真を自分で撮ってプレゼンに貼ってみたけどイマイチだったこと、ありませんか?

小さなことですが…ひと手間かけると結構変わるものです。
①背景を統一する
ボールペンの蓋を開ける前と開けた後の写真を並べます。背景が違うと、「蓋を開けたこと」よりも背景が変わったことに意識が行ってしまいませんか?




②ルーペを当ててみる
ペンのインキ軸に刻まれている数字(製造記号?)を撮ってみます。
スマホの拡大機能を使っても、なかなか明瞭に写らないのですが・・・


5倍程度の一番安いルーペを当てるだけで大分マシになります。


巷には、スマホ用のいいルーペもあるようです。
もちろん価格に応じた性能差もあるのですが、ルーペの有無だけでかなり違うです。

製品開発の人は、他の人が見ないような製品の中身や製造工程を話題に挙げることが多いです。
そういった内容は言葉で説明するのが難しいので、写真を撮ることも多いと思います。
一方で、写真は見る人に大きなインパクトを与えますので、写真だけが独り歩きすることもあります。
こんなちょっとしたひと手間で、その後のコミュニケーションが結構変わってくるものです。

もうすぐ四月ですね。

入学、進学、進級、異動、昇進 と、所属組織の構成が1年でもっとも大きく変わる時期でしょうか。


勤め人の方々は、こんなことを考えることもあるのではないでしょうか?


「主任/課長代理(非マネジメント)までは、社員全員大差なく昇格するけど、管理職になってからの出世は、個人差が大きいな」

「上が詰まっていると自分も進みにくいな」


昇進/出世を階段に例えるケース、多いですよね。

私は、出世が絶対善ではないと思うタイプなので、ちょっと引いて考えてしまいます。

引いてみると、ちょっと面白いので情報発信します。




さて。

階段を登るのが難しいことは、私も同意です。

ピラミッド型の組織においては、下層の人数が多くなくては成り立ちませんから、必然、上層部の人数は極めて少ないです。

実際、多くの人が限られた段数を必死に登って、そして引退していきます。


一方で、「登りつめる」または「より多くの段数を登る」人もいます。


彼らの特徴は何でしょうか?

・目覚ましく大きな成果を上げた

・いわゆるエリート(出世の権利を入社時点から持っている人)であり、エリート間の権力闘争に勝った

・上記のいずれかのタイプの人を上司に持ち、その上司に引き上げてもらった


こんなところでしょうか?

弊社ではもう一つあります。

M&Aやグローバル化や新組織発足に伴い、組織全体が急激に規模を拡大した


特に最後に挙げた点から私が目の当りにしているのは…

実はピラミッドは、登るものではなく積み上げるものなのではないか ということです。




組織が大きくならないときに階段を登りたいならば、上司に取って替わらなければならないです。

取って替わるためには…自分と交代してもらうか、上司にいなくなってもらう必要があります。

これは相手の状況に大きく依存しますから、どうも大変に厳しいですよね。



では組織を大きくしたらどうなるか?

俗に1人のマネージャーは10人の部下を十分管理できるらしいです(大昔の中国の軍隊で、10人隊長、100人隊長、1000人隊長 というように組織していた と聞いたことがあります)。

1段階登るためには10人分の仕事を作ればよい。

2段階登るには、部下の10人全員がそれぞれ10人分の仕事を作ればよい といった感じです。

特に2段階登る場合は、部下にも1段階登ってもらえます。

組織を大きくしないときに比べて、「平和」な雰囲気がしますよね。



頑張っても多くの人は報われない という閉塞感は、組織が大きくなれないことが起因している気がします。

平和に、多くの同僚に慕われながら階段を登りたいならば、組織が大きくなるような仕事とは何なのかを考えるのも一つの方法なのかもしれませんね。












受験戦争に巻き込まれると、偏差値なるものに振り回されますよね。

偏差値70ってとってもスゴイと思ってしまうのですが、実際どのくらいすごいのでしょうか?



Wikipediaによると・・・

    • 偏差値60以上(あるいは40以下)は、全体の15.866%。
    • 偏差値70以上(あるいは30以下)は、全体の2.275%。
    • 偏差値80以上(あるいは20以下)は、全体の0.13499

    だそうです。



    個人的には偏差値5565も気になるので別途調べてみると・・・

    上位5% →偏差値66.5

    ・上位10%→偏差値62.8

    ・上位20%→偏差値58.4

    ・上位30%→偏差値55.3


    とのこと。



    さてさて。

    社会人になって「偏差値」で測られることなんてほとんどないですが、異常なまでに染みついた「偏差値」を使って所属集団における自分の位置を測ると、見え方が変わってくるのではないか ということです。


    今日はまず、私にとって一番馴染みのあるポジションの話です。

    所属組織の上位集団だけど、ナンバーワンではない人。

    組織の最小単位が5-10名 とすると、2-3番手、つまり偏差値55くらいの人。

    弊社だとそういう人がどうなっているかというと…



    それなりに能力が高い(という扱いを受ける)
    →難易度が高い業務をすべきと周囲に思われるし、自分でも思う
    →専門性が高くなる
    →潰しがきかない、業務内容が周囲に精確に理解されない
    →周囲からは仕事がその人に属人化していると思われるし、本人は傍流に甘んじていると感じる



    …と。あまり幸せにはなっていないような気がします。
    会社は/上司は、自分のことをわかってくれない と思ってしまうこと、ありますよね。



    じゃあ、会社の評価って何なのさ という話になるわけですが。

    端的にいうと、組織でもっとも評価されるのは組織力向上に貢献することだと思っています。

    言い方を変えると、所属組織の多くの人(上司も担当者も含む)が成果を認めてくれる仕事こそが、最高の評価を得ることになります。

    実際、組織のナンバーワンの人って、組織の中で最もホットな課題に配置されたり自ら飛び込んだりするから、当然周囲から評価されやすいですよね。



    つまりは、仕事が設定された時点で、達成した際の評価はすでに大部分が決まってしまっているというわけです。なので、いい仕事を貰えるナンバーワンだけがどんどん勝ち続けるわけです。



    でもちょっと待ってください。

    ナンバーワンの人の仕事の難易度って、2-3番手の人のそれとそんなに違うでしょうか?

    難易度が高いならば、直接的な業績ではない副産物、つまり、そこから得られる知見/ノウハウは多くの同僚にとって有益なのではないでしょうか?

    実はみんなが困っていること、実はみんながあきらめていたこと、実はこの成果をもとに数多くの新しい業績を挙げられる突破口となること・・・そういうことって、「みんな」よりも少しだけ高度な知識・技術があれば達成できちゃったりするんですよね。

    「みんな」には馴染みがない分野であれば、初級・中級レベルの知識や技術でも「みんな」にとっては新規性が高いので、貢献度が大きいというわけです。



    仕事において特に「スピード」が要求される昨今、担当業務から得られる副産物を探してみたり、現在の仕事を多くの人が分かりやすいように翻訳する って、意外に実践している人が少ない気がします。


    低成長でポストが限られている中で頭一つ抜け出すためには、狭い分野を掘り下げていくよりも、数多くの同僚を助けるような方法を探してみてもいいのではないでしょうか。

後輩の指導/教育、したことありませんか?


部活、バイト、家庭教師、塾講師、職場の新人研修etc 機会はそれなりに転がっています。

でもこれ、結構しんどいですよね。

どこまで任せてどこまで管理しようか? といったさじ加減の問題なんかをよく飲み会で相談したものです。




いつもの話はいつもの場所でできるのでここでは置いておいて。せっかくなので、もうちょっと俯瞰して考え見ることにします。

後輩教育において、自分の後継者を作って自分は卒業する という考え方って結構多いのですが、この考え方を続けていくと何が達成できるのか考えてみました。


答えは・・・組織の現状維持 ではないでしょうか?

自分が抜ける穴を、同じ大きさの後輩で埋めるなら、組織としては変化がないということになります。

「組織」と書きましたが、実は自分が卒業する小さな「組織」だけでなく卒業後の新天地を包含する「大きな組織」を考えてみても、現状維持が進行するのではないでしょうか?

後任を育成する業務を実施した自分は、同じく自分を育ててくれた当時の前任者とほとんど同じスペックになっているはずです。

こう考えると、自分も損している気がしませんか?


つまり、教育や指導をする立場になった時、自分のコピーを作ってもいいことなんてない というわけです。


じゃあどうすればいいの?という話です。

指導/教育を通じて、自分の成長軌道と組織の成長軌道を大きく加速できればいい気がします。

せっかく新しい人が入ってきたのだから、新しい風を順風として自分と組織に吹き込むというわけです。


なんだかイメージしやすいですよね。


新人/後輩には自分にない強みがあり、自分や自組織には改善点がある とプラスの面に目を向ければいいのです。

今、自分/自組織ができていることを、ミスなく完璧にこなせるように教えることは確かに大事です。でもそれをやっていると、新人/後輩の「今、できないこと」だけに目が行ってしまいます。それだけをやっていると、減点方式になります。

減点方式だけだと、頑張った割に高い評価が付かないし、一発逆転も狙えませんよね。だから、加点方式を教育プログラムに組み込んでしまえばいいのです。


つまり、自分/自組織が今できていないと感じていることを素直に伝えてしまうわけです。

もちろん、いきなりその新人が、我々の積年の課題を解決してしまうことはほぼないでしょう。とは言いながら、その新人は自組織に100%染まる前に我々とは違う目線で課題を観察することができるわけです。それに、遅かれ早かれその新人もその課題に気付いて改善に取り組むことになるのなら、時間に余裕のある研修/訓練中から明確な目的意識を持てたほうが、成果を早期に実現するチャンスが広がるはずです。





ずいぶん抽象的に書いたのですが、実は自分の身の回りで起きたことです。

昨年2月に入社してきた25歳のインド人新入社員の教育を任されたのですが、32歳・入社8年目の自分としては、「半年~1年で私の穴を埋めろなんて、上司は私の能力/経験を過小評価しているのではないか」とイラついたものでした。

なので、当初の2か月は、上司―私―新人の間が非常に険悪ムードでした。


ところがあるマネジメント研修で、彼の強みにフォーカスすることを学びました。実際に彼の強みを10個以上列挙しているうちに、自分の弱みが相対的に彼の強みに見えてきたのです。

その日を境に、私が彼に相談をするようになりました。

一旦、「教える-教わる」の一方通行を破壊してしまうと、相手を尊敬/尊重するのが簡単になりました。自分と違うこと/やり方を見ても、叱りたい気持ちよりも少し様子を見てみたい気持ちになりました。


そうこうしているうちに、自分が引き継ぎたかった業務80%以上を約9か月で引き継ぎ完了しました。それなりに経験のあった私が前任から仕事を奪うのに約一年かかったのに です。




教育係に付いている方/付く予定の方は是非、一方的に教えて自分を消耗させるより、一緒に成長する という目標を持って、いっそ自分や自組織の改善点を共有してみてはいかがでしょうか?











今年の年頭挨拶、覚えていますか?


校長先生、キャプテン、社長、部署長、一家の当主etc、いろんな人がなされたと思います。


聞く側は、身が引き締まる思いがしたり、はたまた特段何も響かなかったりしたでしょうか?

する側は、何を話そうか準備をしたり、挨拶後のフィードバックにやきもきしたでしょうか?




公私およびネットリアル問わず、情報発信が重要だということは広く認識されていますよね。

一方で、インターネットが普及した現在、情報が氾濫しているとも言われています。

なんだか裏腹ですよね。




数年前から言われていることですが、これから「キュレーター」が重要になるとか。

キュレーターというのは図書館の司書や博物館の学芸員に当たる英語のようですが、要は、情報の取捨選択を専門家/プロ目線でやってくれる人・サービスのこと。

情報が氾濫しているのにスピードが大事な今の状況下では、キュレータ―を雇うのが一番でしょうが、私のような一般市民には無理。

となると、信頼できる情報源を確保することが大事になるわけです。



では、信頼できる情報源として、どんな情報を発信したらいいのか?と悩むことになりますよね。

私は、とりあえず海外赴任 をメインテーマにしていたのですが、テーマから発信内容を決めるというのは実は「書けるから書く」という発信者目線かつアマチュアの考え方ですよね。

今日はこの点を少し見直してみようと思います。




受け手(読者)目線の考え方だとどうなるんでしょうか?

読者としての私は・・・

テーマ的には

・自分の生活に役立つ情報(子育て、ヨーロッパ生活 など)

・自分のビジネスに役立つ情報(ツール、戦略、トレンド など)

質的には

・押し売りではないもの

・伝聞/転載等の2次情報でなく、著者の体験/経験を通した1次情報

といったものを求めているようです。

これらを満たすのは、現在の延長線上で頑張れそうです。




プロフェッショナルな考え方だとどうでしょうか?

自分のビジネスの活性化に寄与するような内容となると…

 ・集客につながる情報

 ・ヘッドハンティングにつながる情報

 ・お金を支払っても買う価値のある情報(ビジネスノウハウなど)

といったところが思いつきます。平たく言うと、発信者と受信者のWin-Win関係が明確です。

会社員であると、なかなか上記のような情報発信は難しいかもしれません。




去年から始めたブログも小休止を挟んだので、変な方向にずれないように気を付けながら継続しようと思います。








次に、有性生殖を考えましょう。


有性生殖すると、子供は父親と母親から半分ずつの性質を受け継ぐと言われています。

DNA的にはどういうことなんでしょうか?




通常、有性生殖をする生物は、同じ(ような)遺伝子を各2組持っています。同じような2本鎖DNAが2セットずつあるというわけです。

血液型の遺伝なんか有名ですよね、「AOでもAAでもA型」ってヤツです。

生物の各個体を野球チームに例えると、各チームでは各ポジションの選手を2人ずつ抱えているようなものです。

長いペナントレースを戦い抜くためには、控え選手も必要ということなんでしょう。




有性生殖は、野球で言うと、お父さんチームとお母さんチームのメンバー入れ替え大会です。

ただし、ポジションチェンジはしません。投手と投手のトレード、1塁手と1塁手のトレードをします。

実際には、卵子や精子という細胞が作られ、この二つの細胞が合体するわけです。

卵子や精子の中に9人の野球選手がそれぞれ1組だけ入っていて、合体すると親とは違うチーム編成が出来上がるという寸法です。




これ、変異を蓄積しながらも、カオス化(個体死)が起こりにくい面白い手法だと思います。

チーム内には各ポジションが2名ずつで、トレードは同じポジションでしか行わないルールになっているので、どんなトレードが起こっても、とりあえず野球の試合はできそうですよね。


一見大胆に見える大トレードも、実は2重のセーフティーネットを敷いた繊細な作戦なんですね。

それでも、受精卵の段階で個体死に至ることも多いのが現実ですから、有性生殖をおこなう生物はそれなりの数の配偶子を生産するわけです。






前回は体細胞分裂について、今回は有性生殖について書いてみました。

前回の体細胞分裂は、かなり保守的なプロセスの中でもほんの少しの変化を生み出す話でした。

今回の有性生殖は、かなり挑戦的なプロセスにおいて複数のセーフティネットを敷いている話でした。




一口にイノベーションが必要とか、進化する組織であり続けなければならない と言われることが多いですが、これを生死を懸けて続けてきた生物でさえ、まずは「生きのびる」という保守的な構造を基礎としている というのは、我々の直面している現実に近しいと思います。
大きな変化/進化をいきなり起こすのは難しいので、生き延びながら変異を積み重ねる というのがしなやかでしたたかな生物の戦略なのかもしれません。