肝臓が、いかれたのか机に長くいられなくなた。それでも、村上春樹氏より新しいものを書いている自負がある。今出版社は、東大でが多いそうである。芸術の天才を見抜くには、困難であるからであろう。カズキの天才性を見抜くには、半端では通用しないからである。才能は、下手でも分かるからである。編集できる力もなく凡人が、天才を評論するのはいただけない。カズキは、大手のある出版社を罰とした。編集者は、何かを見抜き、育てなければならない。それが見抜かねばならない。プロ水準にまで行かないのが、やがて行くように育てなければならない。これに徹してくれたのが、プロ作家集団の同人誌えん編集者G氏である。この人がいなかったら、カズキは、作家になっていなかっただろうと思う。それは、埴谷雄高氏という伝説の作家が、書き始めたから、その発想は、カズキを凌駕するほどの凄さであった。カズキは、この作家に自分の作品を、送った。すると返事をくれた。もっと本を読みなさいという事だ。後に社交事例のごとくと思ったが、近くに日本で、一、ニ位を争うスゴイ歌人が、いて余程の人ではなくては、返事はしないですよと伺った。偶然が、幸いしたのかと思った。それからまだ世の中には、優秀な人がいるとプロ達に発破をかけた。そのせいか、まず発見されたのが、安倍公房氏だった。しかしそうではないと、言ううち、プロ作家集団が同人誌を作った。カズキは、大きなチャンスと、出席をした。その際、原稿を読んで才能を調べられた。すぐ新宿へ呼び出された。そしてゴールデン街で徹底的に指導を受けた。才能ありと洞察されたのだ。デビュー作は、とんでもない作品だった。百年後に分かる作品と言われても社交辞令としか思えない。けれど愚作だったらこんなに熱心に指導してくれる筈が無いと気を持ち直した。愚作であっても、才能は、あるかどうかは分かる。そこを知っているこの集団は、大変なる人達と分かった。埴谷豊高氏が伝説から、現実となった。この人が、まだ大変なる人が、いるとの話しは、探し切れないとの判断働いたのだろう。だからプロ作家集団を作った。アマもいいという画期的な文芸同人誌だった。タイミングから、カズキがテレビをみた。精神障害者の事を書くなという編集長の言葉だった。それに随分抵抗を覚えた。テレビは、