じつに、個人的な歴史を語るシリーズ(笑)
第2弾です。


2020年は、プロ活動30周年でした‼️
が、、、中止が重なり、今年ようやく実現します。


で、、、30周年を前に、各節目を飾ってきた
僕の記念コンサートのチラシを紹介します⭐️



時は1988年、生まれて初めて太鼓に出会い‼️
1989年4月に佐渡島の鼓童研修生となり、
1990年2月にはカラダを壊して横浜に戻りますww


その4月から、たまたま受かった音楽大学に通いながら、ソロ活動をスタートしました。




そこから10年が経ち、
出会ったミュージシャンは一気に豪華になり✨

コンサートの場も日本全国へと
広がっていきました。








海外公演も毎年のように行き始めましたが、
自分を大きく変えたのが‼️



FIFAサッカーワールドカップ1998
 フランス大会🇫🇷閉会式イベント



これは、当日所属していた東京打撃団という太鼓グループでの出演でしたが、世界130ヶ国に生中継されて、それはそれは素晴らしい場でした。



僕は日本側の音楽も担当していたので、
自分の作曲作品が世界中に流れた‼️
そんな高揚感も味わえたんですよね〜



その時期に、かつてのハリウッド✨100万ドルスターだった、ショーコスギ氏に1年ほど太鼓を教えていたんですが、

ハリウッド郊外で俳優養成学校を作るんだけど
講師として来て欲しい!
という依頼があったんですね。。。



まだ息子一彩が2歳くらい?


でも、更なる高みを目指す為に‼️
一度それまでの活動をすべてストップさせてでも、一定期間アメリカに滞在するのもありかな、と。



1999年〜2000年まで渡米。


帰国してからすぐに、ドイツで開催された
ハノーファー万国博覧会JAPAN DAYの
総合音楽監督に就任。








このあたりから、デビュー10周年のコンサートを
日本全国や、ドイツ各地などやりましたね〜


ただ、太鼓奏者として考えると、

共演者が豪華な割に…
え⁉️ ヒダノくん、まだ10年しかやってないの😅
とか言われてたので、、、💦


恥ずかしくて大きく掲げなかった(笑)



同時に、著名なオーケストラからも
ソリストとしてお声がけ頂く機会が増えて、

短い間でも音楽大学でクラシック音楽の勉強しておいて本当に良かった!と思ったわけです。





実に、良き時代が続きます。

というか、これから盛り上がっていくのです😊👍



つづく...