ガハガハと、ひたすら笑い声しか聴こえてきません。。。



日本を代表するラテン・パーカッション奏者🎵

横山達治さんが、亡くなりました。




達治さんには、駆け出しの頃に随分とお世話になり

いいこと!悪いこと(主に悪い事)沢山教わりました。




毎回同じ下ネタMCを連発し、オチが分かっていても笑えて....ライブ中に「いつになく真剣に周囲を見てるな」と思いきや、かなり真面目に女の子を物色しているしwww



とてもSNSには書けない昭和な昔話を沢山聞きました。




達治さんの中では、僕は初めての和楽器奏者だったので

かなり親密に勉強会をしたり、良く2人で稽古したものです。




出会いは、たしか…1994年頃、僕が日野皓正Spark Bandにゲスト参加させて頂いた時に、メンバーとしていらっしゃいました。 



この時は本当にラッキーで、このコンサートを機に

坂井紅介さん(B)とはしばらく各地でご一緒できたし、

故 日野元彦さん(Dr)や、故 コルゲン鈴木さん(pf)とも

その後も親しくさせて頂きました。




この現場はとてもピリピリしていたんですが、達治さんが僕に色々と気遣ってくれて、安心して過ごす事が出来たんですね。



日野元彦さん、達治さん、僕の…3人でドラムバトルをやり、Jazzの中での即興セオリーなど、色々と教えてもらいました。





その後、バンド組みたいと相談し、高橋ゲタ夫さん(B)

を紹介してもらい、当時は珍しかった和洋混合バンド

「ばてれん」結成🎵



横山達治(Perc)高橋ゲタ夫(B)土井啓輔(尺八)

髙木潤一(フラメンコギター)ヒダノ(太鼓)



同時に、故 松岡直也さん(pf)に出会わせてくれたり、

6〜7年ほど密に活動できたのは、素晴らしい財産でした。




その強烈なコンガ演奏は、他に類を見ない素晴らしさで

ライブでは必ず‼️突撃隊長として、グイグイ引っ張るのです。太陽のような笑顔で、我々共演者をいつも照らしてくれました。



音楽の作り方やセンスは、

本当に細かい部分まで最高でした。




その反面、日常生活はとても雑で、車内は…いつ着たか分からない衣装でグチャグチャ、渡した楽譜は僕が予備を持って行かないと



いつも行方不明に。とても寂しがり屋で、実は繊細なハートの持ち主で、大先輩ながら正直ちょっと面倒だった事もあった。。。泣





2000年代前半からは、あまり共演する機会が無くなりました。



僕が頻繁に、外国人アーティストを招聘して大ホールツアーを組んでいた時期、ある時ホールのスタッフが楽屋に達治さんを連れて来たんです。わざわざコンサートを見に来て下さり、ヒダノくんの友達!って伝えて楽屋に顔を見せてくれました。



「ヒダノくん!いやー凄い活躍だね〜、また呼んでよね」

って、少し控えめに笑いながら入ってきて少しだけ話したんですが、本番直前で僕は…少し邪険にしてしまった気がします。




おそらく、それが話をした最後かもしれない。。。



その後に、突然倒れたとペッカーさんから聞きました。




思い起こせば、達治さんには色々なセッションに声をかけてもらいました。



一度なんか、ドラマーとして呼ばれて(苦笑)

バイオリンに寺井尚子さんがいましたが、ロック出身の僕がラテン系を叩けるはずもなく、まず音量で迷惑をかけてしまったかもしれない。でも本番中に、バンバン指示を貰いかなり鍛えられました。



小さな音でグルーヴする🎵大切さを教えてもらえたかな。





今さらながら、なんでお見舞いに行かなかったんだろうと。キチンと、お世話になってきた御礼が言えず後悔しかないです。



音楽家としては本当に真摯に共演者と向き合い、

数々の若手が、横山達治さんの元から巣立ちました。




長い闘病生活から、ようやく解放されて…

あちらのラテンな国で、ポンタさんや松岡さん、

沢山のお仲間とガハガハ!下ネタ連発しながら、盛り上がってるでしょう。

 



謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


合掌




写真は、1999年の僕の3枚目のアルバムのもの。