田中まさよし
この人の立ち位置が、何とも面白いのです。
特にメジャーではない"マニアックな打楽器"を自在に操り、しかも…誰も知らないような民俗楽器に関しては、素晴らしく精通している。
逆に、王道のパーカッション…
例えば、ラテン系やブラジル系など、
誰もが知っている世界は、僕の知る限り…
なかなかイマイチ(笑)
常に他人が良くやっているネタ…以外(笑)を探してきて、ストレート勝負は挑まないタイプ。
でも、その不安定な音楽人生も…20年続ければ、それは王道だし十分立派だと思う。
秋田の上小阿仁村という小さな村に味噌屋の御曹司として生を受け、ひたすらドラム叩いてた中学生時代。しかもヘビーメタル命!!
ナゼそうなってしまったのかは知る由もないが、きっと田舎では、穏やかな仮面を被った…
かなりヤバい存在だったのだろう。
その後、神奈川県内の音楽大学に入学する為に上京。縁あってヒダノチームの楽器スタッフとなり、あれから20数年が経ち…
彼の人生の半分以上は、うちにいることになります。
多少の雑さは(笑)目をつぶりたくなるくらい、とにかく仕事が的確で素早く、広い範囲で気がつくので、
当時もう1人いた木下貴哉(現 太鼓屋鼓響の鎌倉支店長)のジックリ細かすぎ&超丁寧こだわり屋!とのバランスは最強で、
共演する大物アーティスト達からも良く褒められていたのを思い出します。
楽器スタッフとして世界15ヵ国以上は旅したし、おそらく沖縄や東北の一部以外は、
日本国内も43都道府県くらいは一緒に行ったのではないかな〜。
過去に在籍した楽器スタッフは、おそらく20人くらい。その中で、今でも…どうしても助けてほしい時に最も頼りになる有難〜い存在!
さて、2006年に太鼓マスターズを作り、第1期メンバーで活動を開始し始めた頃、、、
長らく僕を横から見ていた彼にも太鼓を叩かせてみよう!と思い、声がけしたのが最初でした。
基本的にはドラマーなので、しばらくは太鼓の個人レッスンを繰り返し、中学生だった一彩も一緒に、たま〜に貸スタジオで太鼓練習させてましたね。
ドラム出身者が太鼓を叩く場合、必ずそうなる打ち姿があります。
ドラムは脇を締めて手首を中心に叩くので、太鼓とは真逆の動きです。
しかも、こんなに手を高く上げて打たないから、リズムがズレないよう最短距離を考えて…
あの独特の振りが生まれるのだろう、
僕もドラマーだったので、痛いほど分かる。
やがて太鼓マスターズに仮参加してからは、持ち前の器用な性格を活かして…大ホール公演も沢山経験しているうちに意識も高くなり、
スピーカーからではなく生音での大音量の出し方など!!このあたりが、他のメンバーのアドバイスも受けて、格段に成長したのです。
太鼓も色々と購入していくうちに、名刺の1番トップに【太鼓】という肩書きが付いてきて、めでたく…太鼓奏者🎵田中まさよしが誕生したのでした。
太鼓を始めてから、個人的に演奏仕事が増えたと聞いているので、まあ良かったのではないでしょうか。
彼の演奏の特徴は、他のメンバーが絶対にやらない変態フレーズを突然ソロ中に登場させ、周囲を混乱させるのが最も得意。
そのうち周囲が慣れてきて彼に合わせはじめると、今度は彼自身が自分の出したフレーズに自爆しはじめた。
「太鼓界の自爆テロ」とでも呼ぶべきか…笑
一時期は「オーソドックスな太鼓フレーズ」しか叩いてはイケない!!
変態フレーズ禁止令を出した時期は、非常に良い太鼓打ち風ww だったんだけど、やはり彼は元に戻ってしまったようだ。。。
楽しくないフレーズの数々
ノルことが出来ない太鼓ビート
周囲を混乱させまくる難解フレーズ
このあたりを叩かせたら天下一品キャラを設定し、前例のない太鼓を叩く第一人者としてスタートさせてから10年以上。。。
でも、誰にでも愛される優しさと気遣い&心遣いのオトコは、間違いなく!太鼓マスターズのメンバーの大切な支柱となっている。
そう、太鼓はヒトが叩くのだ。
上手いだけが太鼓奏者ではない。
最近は当たり前の様にパワーヒットする若手が沢山いるが…田中まさよしのようなオリジナリティー溢れ、人間味に溢れた奏者も絶対に必要なのです。
2年に一度くらい、奇跡的な太鼓演奏をして周囲を驚かせるが、せめて1年に一度くらいのペースにしてもらえたら嬉しいかな^_^
いつも本当にありがとう。