少し時間が経ちましたが…(長文です)


日本で最初のギターヒーローの
井上堯之さんが、5月2日に亡くなりました。

僕にとっては、、、
大々先輩であり、感謝しきれない程の大恩人であり、、、父でした。
実の父を病気で亡くした翌年に出会えたのと28歳も年上だったので、想いは特別かも。

かつてお酒の席でそんな話しをしたら、こんなデカい息子はいらね〜と笑われましたが笑…

最初の2年間は毎週の様にライブやコンサートでご一緒し、後の8年間は僕が誘ってEnTRANSを組み、バンド仲間として公私ともに助けて頂きました。

いつも遠慮がちに…堯之さんに、自作曲の解釈についてリクエストするのですが、必ず笑顔で「You are the BOSS!…最善を尽くすから^_^」と言いながら、素晴らしいギターサウンドで生命を吹き込んでくれましたね。

僕の2枚目のアルバムに参加して頂いた時のこと。なんせ低予算で(ギャラは僕の貯金で支払った笑)48時間ですべての録音を終えないといけない為、ミキシングルームが病院の待合室のごとく…次に録音する方々が待機してました。

ソファには、野呂一生さん、久米大作さん、ゲタ夫さん、ナルチョさん、横山達治さん、神保彰さん、八木のぶおさん、谷川賢作さん、、、他。江川ほーじんさんのベースソロをダビングしていた時なんかは、大物な皆さんが次々にトークバックで「ほーじん!次がつかえてるから早くしてくれ〜笑」なんて始末ww

そこに背中にギターを背負ってギターアンプを自ら転がしながら、あのしゃがれた声で「お〜っす!」と堯之さんが登場。
事前に伝えていなかった為、一瞬スタジオ内に緊張が走り、ヤジを飛ばしていた大物な皆さんが一斉に起立し…楽しい光景でした笑

僕がギターアンプを手伝おうかと行くと「自分が使う楽器だから、自分で運ばせて欲しい!
バンマスはデーンと座ってて」と笑顔で断られましたよね。。。

その後、縁があり4枚のアルバムを一緒に作りましたが、どれも宝物です。

ある日、赤坂TBS前で散歩中の堯之さんに遭遇し、一緒にラーメン食べに行ったんです。
ちょうど堺正章さんのご家族の事がニュースで流れていた時期で…とても堺さんを気遣っていたのが印象的でした。

堯之さんの還暦パーティーにご招待頂き、ナルチョさん、ギターの是方博邦さんらと一緒に行ったんですよね。会場のトンデモナイ参加者の強烈な光景は、未だに忘れられないです。
我々は「なんか、居場所ないね〜苦笑」と小さくなってたのが笑えます。
帰り際に堯之さんが、奥様に「彼は和太鼓のヒダノさん。いまお世話になってるんだよ」と紹介して下さったのが、とにかく嬉しかった。

ある時ヤマハから、TAYLORというギターを輸入し始めたんだけど、誰か試奏してコメント貰えそうなギタリスト紹介して欲しいとのこと、早速!堯之さんに電話して来て頂いたんです。そしたら…とても気に入って、試奏したその日に「これ持ち帰りOK?」って、抱えて電車で持ち帰っちゃったり(笑)

2006年に、僕がやっていたアフリカ支援プロジェクトに参加して頂き、カトリック教会でコンサートをやったんです。ジョー山中さんも飛び入りしてくれまして、本当に素晴らしい時間でした。終演後に堯之さんにスタッフ代程度なギャラ封筒を渡したんですが、「はい!これで完了〜」と募金箱にポンと入れてくれまして。。。皆さんのおかげで、貧困のザンビア共和国に救急車を送れました。

僕の友人で、世界的な名ドラマーのジョン・ロビンソンを呼んで日本ツアーした事があったんですが、堯之さんが僕に「ヒダノさん、本当に幸せだよ!今までの音楽人生で一番演奏しやすいし、ワクワクが止まらないよ。」って、リハの時に何度も御礼を言われたけで…
おかげで、ギターソロが信じられないくらい長かったww


CHARさんと僕のユニット(ヒダノ、井上堯之、ミッキー吉野)で対バンした時のこと。
CHARさんに「凄い人とやってるね〜」と言われたのです。怖いもの知らずだったとはいえ…、僕はGSは通ってきていない世代なので、太陽にほえろ!くらいの予備知識しかなかった。ネットで気軽に調べられなかった時代なので、こっそり周囲の先輩に聞いては「井上堯之という超大物」を学習していったのです。

でも僕自身は、それは置いといて…
ただただ、あの厳しくも優しくて、どこまでも深い笑顔に近づいていたかった。ずっと一緒に居たかったなぁ。いや一緒に居られるものだと思っていた。。。

2008年正月明け、事前に何の連絡もなく芸能界引退。。。ミッキーさん経由でのEnTRANS脱退の連絡。よって、不本意ながら…我がエントランスは、堯之さんがご自身のキャリアの中で最後に参加したバンドとなってしまった。

その数年後に僕が懇意にしている居酒屋から堯之さんのソロライブを組みたい!と打診があり、僕はスタッフ兼PA役で同行したんですね。
リハが終わり、2人で近所の寿司屋で食事をした際に…当時の引退についての心の内を、少しだけ聞かせて頂きました。


堯之さんと密に過ごした10年間は、沢山のハプニングがあり、大きな学びと自分自身を形成する上で重要な時期であり、本当に幸せだった。

僕の歳だとまだ、バンド仲間が亡くなるという事態に遭遇する確率は低いと思う。そんな中での突然の訃報…

実は公表される前に連絡を貰っていたのですが、本当に辛いですね。

思い出が沢山あったので…
どうしても御礼が言いたくて、お通夜で直接お別れをしてきました。

何か、恩返しが出来たのかなぁ、とか必死に考えてみたけど、、、ないかなぁ。。。

でも、ムッシュかまやつさんに昔言われたこと…「僕に恩返ししたいなら、自分の後輩を大切にしてやれ」を、思い出したんです。

堯之さん。すいませんが…それで勘弁して頂けますか?

「お悔やみ…とは、苦が止む!という事なんだよ。」と教えて下さいましたね。

長きに渡り、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。

ヒダノ修一