今日は70回目の終戦記念日。
子供の頃…母方の実家に里帰りする為に、よく札幌に行っていた。
結構広い屋敷の中で兄弟で遊んでいる時に、時々眺めていたモノクロの写真があった。
祖父の弟で、戦地で橋を架ける作業中に、敵の銃撃に遭い亡くなったと聞いている。
子供心に、いつもその迫力が気になり…
なんだか怖かった記憶がある。
幸い祖父は身体が弱く、徴兵は免れたそうだ。
だから、いま自分がここにいる。
ひたすら、神に感謝するしかない。
僕は、ホラー映画はまっぴらゴメンだが、
戦争映画は好んで非常に良く見る。
どんなに残虐で過激なシーンが多発していても、その部分を隠さずに表現した意図と作者の深い想いを考えると、それはそれは平和に対する喜びが僕の全身を何重にも包むのだ。
なんとも不思議な感覚だと思う。
もう…14年ほど前になるか。
藤岡弘、(俳優)
ジョー山中(歌手)
菅原やすのり(歌手)
ヒダノ修一(太鼓奏者)
この4人を中心に、内戦中のアフリカと中東に救援物資を持って慰問に出掛けた。
湾岸戦争の跡地にある孤児院では、小学生以下の子供達の遺体の顔写真集を見せてもらった。
余程の憎悪がない限り、小さな子供に対してこのような残虐な殺し方はしないだろう!というくらい、それはそれは悲惨な写真集だった。
計5冊…僕はもう目が離せなくなっていた。
他の巨匠お三方はすでに、こりゃヒドい。もういいや…!と見るのを辞めていたが、僕は違った。
かろうじて目玉が付いている程のすべての子供の顔を確認し、殺し方の確認をし、どれだけ痛かったか…を出来る限り心に感じながら、世の中の現実に見入っていた。不思議なことに、4冊目くらいからは何も感じなくなっていた。
これが、もしかしたら…誰でも潜在的に持つ、
人間の本当の恐ろしさなのかもしれない。
戦車数台や、最初に砲撃を受けた民家、無数の銃弾の跡が生々しいワゴン車。なんとも言えない空気感が街中に漂っていた。
戦争の手段も武器も、年々進化している。
今どんなに戦争に反対しても、この世界のどこかでは日本人には理解できない原因で戦争を行っているのだ。民族扮装、宗教戦争、資源や領土の争い…
そんな中、声を荒げて戦争反対を訴えるのではなく、救援物資や食糧支援、戦災孤児達の心のケア、地雷除去ロボット製作の金銭援助。他にも多彩な形で世界80ヶ国以上に訪れて独自の支援活動を展開していた…ジョーさん、藤岡さん、そして菅原さん。
すでに、4年前にジョー山中さんが亡くなっています。
そして残念な事に…お2人目の菅原やすのりさんが、今月4日に急性骨髄性白血病で亡くなった。
色々な楽しいお付き合いがありましたが、
謹んでご冥福をお祈りしております。
ヒダノ修一