ヒダノ修一ブログ「ヒダノ修一(太鼓)の ヒダしゅ~くりいむ.読む!!」by Ameba-P1030130.jpg

エントランスの関西ツアー音符から、早くも1週間が経ちました。

実は…書こうか、書くまい…か悩んでいた出来事が、京都ラグでのライブ終了後にあったんですねニコニコ

物凄い盛り上がりアップのライブ後は、メンバーみんなでお客さんも交えての大宴会ビールべーっだ!

そしてテッペン時計を回ったくらいから1人減り、2人減り…残ったのは僕と鳴瀬さんとアシスタント@バブちゃん、数人のお客さん。
しばらくして、店の扉が開き…濃厚な関西弁があせる

ふと…そちらを見ると目

ぬわんと!?ビックリマーク!?ビックリマーク

まさに10年振りに会う、大阪が世界に誇るアップアップアップスーパードラマー@東原力哉(ひがしはらりきや)さんではないですか~にひひDASH!

※80年代に日本のフュージョン界に彗星の如く現れ、そのパワーとポップ性と怒涛のグルーヴ感で一斉風靡した【ナニワ・エキスプレス】の屋台骨ドラマーで、裸足で鬼のように、時には繊細にキラキラ叩きまくる姿にファンも多い方なんですよビックリマーク
…かくいう僕もその1人でした(笑)

注:ちなみに、僕の98年発表のソロアルバム「たたいてなんぼ」に参加してもらってますチョキ


実は神保彰さんと出会うまでは、ずっと一緒にリズム隊を組んでましたキラキラ

とにかく、グイグイ引っ張るキャラでアップ、怒涛のフィルインやスイング感、濃厚爆弾なタメと重厚なプレイ姿は、ある意味…ケダモノでしたね(笑)

でも、そう言うと「何言うてんのやぁアップヒダノの方がよっぽどケダモノやんかビックリマークオレなんかお前に比べたらウサギや(笑)」と、いつも周囲を笑かしてくれた最高の人格者でもありましたニコニコ

実は10年近く前、大阪の岸和田カンカン・ベイサイドモール家というショッピングセンターのオープニング&その後何年かは、僕がそこの主要イベントをプロデュースさせてもらっていたんですが、そこにドラマーとしてお願いしていたんです。

その年は、ヒダノ(太鼓)梅津和時(サックス)東原力哉(ドラム)というトリオで、昼間のイベントでした。

まだ携帯携帯が普及していない時代で、とにかく力哉さんと連絡を取るのが大変だったんですが、事前リハーサルで当日のスケジュールを何度も確認し、直前でも電話電話で確認し、問題はないかと思われたんですが…
実は本番当日DASH!

終演後に、真っ青あせるな顔して登場したんですねショック!ショック!

イベント自体は、僕と梅津さん、あとアマチュアの太鼓メンバー何人かで、何とか無事に盛り上がって終われたんですが…MCで言い訳が大変でした。

何やら、スタート時間と会場入り時間を間違えたそうで、遅刻走る人学校しても本番には間に合うように来たみたいなんですがあせる
着いた時間が終演でした~。

…あれ以来、実は一度も会っておらず、風の便りに…入院したとか、ナニワ復活でツアー開始したとか、いろいろ聞いてました耳


長い年月が経ち、僕自身はすっかり忘れていた出来事でした。

それが、京都ラグ家で再会キラキラし、力哉さんは開口一番…
「ヒダノ、ホンマに申し訳なかったあせるホンマに申し訳なかったビックリマーク

僕の手を強く握りながら、とにかく、繰り返し謝罪をしてくれて…かえって申し訳なくて、2人でお互いに頭を下げ続けました。
(横で驚く鳴瀬さんあせる

でも最後には、「ホンマに許してくれるか!?
「もちろんですビックリマークまた是非ご一緒したい気持ちで一杯ですキラキラ
「ありがとう~、ありがとう~」

そこまでずっと苦しんでいたのかと思うと、こちらも胸が熱くなりました。
(実はあの時すでに病気で、体調は最悪だったらしいあせる

自分が軽く思っていた事が、相手は逆に大変な事になっていたってこと、ありますよね?

偶然、京都ラグ家の前を通りかかり、僕らの名前を見つけ目
入ろうか、悩んだそうですしょぼん

でも会えてホンマに良かったビックリマークキラキラ

鳴瀬さんと3人で肩を組みながら、かつて一緒にリズム隊を組んだ最高の仲間同士、深夜星空まで飲み明かしましたニコニコ

僕も、あの時代よりは上手くなってるんで、また叩き合いたいですね~べーっだ!