先日の両親への報告記事がアメトピとやらに取り上げられたお陰か、この拙い日記が皆様の目に留まる機会が増えた様で驚いております。

せっかくならこの大病体験を面白可笑しく綴りたいと思ってたのに、読み返して見れば至って普通の日記、残念です。

では普通の日記、続きます☟。


その後、家族がどの様に接してくれているかというと…

その時は皆んな衝撃を受けただろうけど、今は、前と何ら変わらない。というか、夫も両親も変わらず接しようとしてくれてるんだと思う。両親に関しては詳細を話すと余計心配されそうなので、本当にざっくりとしか話をしていない。それはそれで不満そうだが、病気について話したくないという私の気持ちを汲んでくれている。

母は「じん子が一番大事!」な人なので、色々頼りにされたい様子。父は毎朝神棚を拝んでいるのだが、母によると神棚の前から30分も離れないそうだ(←絶対盛ってると思う)


夫は相変わらず週末はゴルフ(最近はコースに出てなくて打ちっぱなし)に勤しみ、息子には「お勉強頑張ってくれたらママとっても嬉しいなおねがい」と言っても全く勉強してくれない。私の癒しである娘はいそいそと鶴を折り始め「ママが元気になる様に折ってるの」なんて可愛い事言ってたが、気づいたらもう終了していた。合計14羽。そして私は、腹が立つ事、イライラする事、面倒くさい事があれば「ちょっと!ママがんなんだから!」と病気を濫用。


なったもんはしょうがないもんね。


話は逸れるが、とある日曜日、お昼食べにおいでー、と母から連絡があり実家へ寄った時のこと。

歴史好きの父が見ていた番組に衝撃を受けた。

「毛利元就、75歳で病死」

何だって!?戦国時代で75歳まで生きたの!?私はこの令和の時代において、5年生存率だの何だのを気にしてるというのに!?

…なんか一気に毛利元就の事が憎らしくなった。

※毛利元就好きの皆様、申し訳ありません🙇‍♀️

夫には、歴史上の人物にまで怒れるなんてすごいな、と呆れられた。