いちばんすきな花も今日で最終回。
楽しみに見てたドラマでした。
今田美桜ちゃんが夜々ちゃんで
神尾楓珠くんが紅葉くんだと、うっかり錯覚してしまう。
本当に、夜々ちゃんや紅葉くんというキャラクターがいるような気がしてしまうけど、よく考えるとそれはドラマの中の設定なんだよね。
それから、言葉がとても印象的。
一話ずつテーマに沿って言葉が紡がれて、たとえば、
間違い探しじゃなくて答え合わせとか
価値観は人それぞれ
ということにそれぞれのキャラクターが思うことを話していく。
そして、それを聞いていると
「へえ~、紅葉くんそんな風に思うんだ」とか
「夜々ちゃん、バカとか言ってかわいい~」とか思ったり。
まるでそのキャラクターがそう感じたり、思ったり、考えたりしているような気がしてしまう。
でも、これ、知っての通りドラマなんです。
あたかも夜々ちゃんや紅葉くんがいるみたいに錯覚しているけどそんなの幻想だし、あたかもそのキャラクターが考えたり感じたり思ったりしてるみたいに見えるけど、そこには脚本家さんがセリフを考えていて、脚本家さんが伝えたいと意図する思いを言葉にして喋っている。
そして、今日が最終回。
今日が終われば、夜々ちゃんも紅葉くんも椿さんもゆくえさんも、あのお家も全部消える。
ねえ、まるでわたしたちのようじゃないですか。
あたしというキャラクターがまるでいるみたい。
あなたというキャラクターがまるで実在しているみたい。
あたしが考えて、あたしが感じて、あたしが思ったみたいに見えるけど、
あの人がこんなこと言う!
あの人がこんなことする!
みたいに見えるけど、
神さまという脚本家がいまピッタリのセリフを考えて、神さまが伝えたいと意図する思いをあたしやあなたやあの人に喋らせている。
そして、この幻想の夢が終わればあたしもあなたもあの人も全部消える。
ねえ。
あたしたちも同じですね。
だから、あの人がこんなこと言った!
許せん!
みたいなことがあったとしても、
あの人が考えて、思っているみたいに見えるけど
本当はみんな神さまで
神さまがあなたに伝えたい言葉をその人の口からセリフとして喋らせているんです。
奇跡のコースでは
全てのものに神の意図がある、
愛を分かち合うためにその人に出会うのだ、
その人はあなたのためにそのような役割をしてくれているだけなのだ、
といっています。
だから、ドラマの登場人物になるんじゃなくて
ドラマを見ているように
自分のことも
相手のことも見ているといいんです。
傷ついたり
傷つけたり
ドラマの中ではいろいろ起こるけど、本当は誰も傷ついていないから大丈夫です。
どうやったらこの人は愛に気づくだろう?
とその人に合った表現が起きますね。
愛を分かち合うためにあたしたちは出会います。
これドラマだったね。
全部夢だったね。
全部がgraceだったね。
って一緒に笑うために。
最後に藤井風さん出てきた~!!
ヤバ~!!
出会ってくれてありがとう。
愛を分かち合ってくれてありがとうございます。